Ａｃｔ．２７ 新工場
「見ていると、空恐ろしくなって来るな」
ダグラス・トランプは、ホクトの川崎工場内のエクスロイド・タイプＳＸ専用工場の製造ラインを、大熊社長と共に見学して、感じ入ったように言った。
「君は、この光景を見ていて、何とも感じないのかね？本当に、このエクスロイドたちがただの機械にしか見えないのかね」
ホクトでは、エクスロイド・タイプＳＸの量産に向け、新工場を建設した。
当初、年間１万体の製造能力を持つ工場として企画されたが、途中、政府による公共遊戯場計画を受けて、建設段階で能力増強を図り、年間２万５０００、最大４万の製造能力を持つ工場になって昨年より稼働を開始。既に１万５０００体以上を生産している。
全長１８０ｍの専用ラインは、さながら大河に多くの流れが合流するような構成になっている。
大河の中心となるのは艤装ラインで、そこに３００本近いサブラインがそれぞれの流れで部品を組み上げ、艤装ラインに送り流して行く。
整然とし、埃ひとつない程に磨かれた工場で働く作業者は、ホクトのユニフォームである白いつなぎ姿だった。
その白衣と、清潔な環境が、ここを機械の生産工場と言うよりは、病院か、大規模な実験設備のような雰囲気を出していた。
この工場は、基本的に見学者の受け入れを行っていない。
なにしろ、未だかつてない規模のアンドロイドの製造だ。製造ラインには、ホクトのノウハウがぎっしり詰まっていた。部外者においそれと見せられるものではなかったのだ。
また、エクスロイドの製造工程は、一般人が見て、決して気持ちのいいものではない。
セラミックスや強化プラスティック製の骨格の組み上げ工程くらいならともかく、人工筋肉の取り付けや、内臓のような機能モジュール組立を見ると、気持ちの悪くなる人も少なくないのである。
その為、新入社員の導入教育や、関連企業への説明に限定して見学が許可されている状況であった。
だから、今、この工場で、生産に関与していない者は、大熊とダグの２人きりだった。
２人が見ているのは、艤装ラインの最終工程だ。
目を閉じたまま、ベッドと呼ばれる作業台に固定されて来たエクスロイドは、インライン検査を終えると同時に、ライン終点から自分の足で歩き出すのだ。
いずれも若く、美しい女性の姿をしたエクスロイドが、まるで命を吹き込まれたかのように、ぱっちりと目を開き、微かな笑みを浮かべながら、胸を張って、その「人生」の第一歩を踏み出す姿は、確かに不思議な眺めだった。
見る人によっては、感動的とも、神秘的とも受け取るだろう。
勿論、ダグも、これが精密機械の製造と点検の一工程に過ぎない事は承知していた。それでも尚、人間そっくりのエクスロイドが、人間そっくりの仕草で動き出す瞬間には、ある種の驚きと畏怖を覚えるのだった。
「いくら人間に似ていても、エクスロイドは機械だ。エクスロイドは、髪の毛１本でさえ自然には伸びないし、人間にはまだそんなことをする技術もない」
大熊は淡々と答えた。
「宗教の違いなのかな」ダグは、拳を顎の下に当てるようにし、考え込むポーズを作った。「信じていないまでも、人間を作ったのは神である、と言う聖書の教えは、心の何処かにあるらしい。普段はあまり意識しないが、この工場を見ていると、これほど、人間に似たものを、人間が大量に作っても構わないのだろうか、と言う気がして来る」
「宗教については判らないが、人間に較べればエクスロイドなどおもちゃのようなものさ。人間のとてつもなく複雑な機能のほんの一部だけを、何とか真似しているのに過ぎないじゃないか」
「だが、エクスロイドも初期の製品から見ると、日進月歩と言う感じで改良されている。最近では、この私ですら本物の女ではないか、と思うことがあるし、最初の頃のエクスロイドの方が、素朴でよかった、とわざわざ指名して来る客さえいる程だ。
一体、どこまで進化していくのか。これも空恐ろしい感じだよ」
「エクスロイド・タイプＳＸは、初期のも現在のもそれほど変わってはいないんだ。ただ、経験を積むに従って、限定された知識ベースの運用が上手くなっただけのことさ。つまり、人間が気にならない所で手を抜き、敏感な部分に重点を置く、そう言う、小手先の技術だ。悪く言えば、誤魔化しだよ。
作業の本質は、従来のエクスロイドと変わる所はない。エクスロイドの膨大な技術蓄積があったからこそ、比較的短期間にここまで来る事が出来た。
君にセクソロイドを作れないか、と相談された時、頭に浮かんだのは、エクスロイドの為に研究して来たのに実用化出来ないでいた、多くの高度技術が活かせそうだと言う事だった。人工知能や、感情測定技術などだ。
タイプＳＸには、何の神秘性もありはしない。
本質的に、従来型エクスロイドに、人工知能型の大容量コンピューターを組み合わせただけさ。その人工知能の知識ベースの主要部分に、あのＢマニュアルを組み込めたのが成功の大きな要因だ。
神秘的と言えば、あのマニュアルが出来上がった過程の方が、はるかに神秘的な気がするね」
「エクスロイドを作った君にすればそうかもしれないな」ダグは頷いた。「エクスロイド・タイプＳＸを作るきっかけになったのは、アカデミー賞でレッドカーペットを歩いたジョージそっくりのエクスロイドだ。
あの時は、精巧なのにびっくりして、これほど人間そっくりに作れるのなら、コールガール用のセクソロイドが作れるのではないか、と思いついた。ところが、最近のエクスロイド・タイプＳＸを見た目で、あれを見ると、かなり粗雑な感じがするね。大変な進歩じゃないか」
「それは認める。
元々、エクスロイドは、人間そっくりにするのを目指した製品ではなかった。むしろ、人間臭さをある程度抑え、エクスロイド……アンドロイドならではの、らしさを出す事の方に重点を置いていた程だ。それでも、一部のグループに人間そっくりに作る技術も研究させておいたので、その技術を応用して、何とか格好に出来た、と言う訳だ。
今では、人間に似せる研究に重点を置いているから、外見と動きについては、もっと進歩して行くだろうな」
「あれから５年か……早いものだ」
「この新工場を見せてから話すつもりだったのだが、あの時に延期した社長引退を、いよいよ実行するつもりだ。
高見沢君に泥をかぶらせたくなかったから、タイプＳＸの開発は、私の責任でやる事にしたのだが、もう大丈夫だ。タイプＳＸは、君のおかげで大したトラブルもなく、社会に受け入れられた。
これで、いよいよ楽隠居という訳だ」
「そうか」ダグは、ちょっと寂しそうに言った。「これから、君と仕事が出来なくなるのだな」
「おいおい、縁が切れる訳じゃないんだ。相変わらずつき合ってくれよ。これからは、仕事を気にせず、ニューヨークにも遊びに行けるから。
仕事の事なら、今やもう高見沢君の方が確かだ。先端技術を扱う企業で、技術屋社長の６５歳は、もう老害のうちだと思ってる」
「まぁ、君の決心を動かすには、またタイプＳＸ並みの新製品を思いつかないといけないのか……でも、あんな事が二度も起こる訳がないし……」
「いや、今度と言う今度は、何があっても引退する。あとは、のんびりしたいね」
大熊は楽しそうに言った。
「それにしても、どうして今回はティナを連れて来なかったのだ？工場を見せたかったのに」
「今、ふたり揃ってニューヨークを離れる訳には行かんのだ。『ゼロ・クォーター』だけでも、世界中で５０カ所を越えたし、建設中のものも２０近くある、トップとしての判断をしなければならない事があるのだ。ふたり揃って抜けるとお手上げになってしまうのさ。
トランプ・コーポレーションは、目下、急成長中のビジネスだ。トップの責任は重大だよ」
「そう言えば、ティナは落ち着く気配はないのかい？」
「あれは無理だよ。まったく、誰に似たものやら」ダグは苦笑した。「いつも、好みのタイプのボーイフレンドが２、３人いて、あれでは、結婚して落ち着く事など出来はしない。
しかし、私はそれでよいと思っている。おかげで男の心理には詳しいから、女でも立派にコールガールの管理も務めてくれたし、トランプ・コーポレーションも安心して任せられる。それに、男とは違った発想をしてくれるから、意外なほど、客にうけたりもするのだ」
「ダグ。君も、もうすぐ引退出来そうじゃないか、その分では」
大熊は、からかうように言った。
「もう少しは頑張るさ。だが、もう主役はティナだ」
「そうだな。いつまでも年寄りが頑張っているのもおかしいだろう」大熊は、背伸びをして、ダグの肩を叩いた。「ティナなら、十分やれるさ」
２人の前を、見事な体型をした黒人型のエクスロイドが、ラインを離れて軽快に歩き始めた。
最近では、様々な国に「ゼロ・クォーター」が進出しているせいもあり、外形権の買い取りは様々な人種に対して行われている。
ダグも、次々に歩き出していく、美女たちを黙って見下ろした。多くを占めるのは、遊戯公社向けの日本人女性だが、ブロンドの白人、鞭のようにしなやかな長身の黒人の美女、まだ年若い美少女……様々な肌色、体格、年齢の美女が次々と、最終検査を受ける為のボックスに入っていく。検査が終わると、電源が切られて梱包され、その状態で定着が行われるのだが、その工程はここからでは見えない。
「そう言えば、最近、中国から、ジャパン・トランプへ大量の引き合いが入ったようだね」
ダグが、ふと思いついたように言った。
「ああ。中国は、人口抑制の為、晩婚を推奨、少子化政策を進めて来たが、欲求不満が鬱積した結果、性犯罪の増加で頭を悩ませている。ところが、社会主義の建前上、売春行為に対しては、一応、厳格な態度を取らなくてはならない。
エクスロイドによるセックスサービスに対しても最初は非常に批判的だったけれど、関係者が日本の公共遊戯場を視察に来てから、態度が急に軟化し始めて、日本政府と同様の見解を示すようになった。
中国版の公共遊戯場を作り、若い男の性的不満を解消し、生産性を向上させると共に、女性の純潔を守ろうと言う訳だ。
エクスロイドの要求も、まずは数を揃える事を優先したいと言う事で、５０モデルを１モデル当たり３００体と言う引き合いだ。
これなら、生産速度を上げられるから、かなり安くなるだろう。また、現地ノックダウン生産の打診もある。いずれにせよ、有望なマーケットだと思うね」
「なるほど、中国の場合は、直接的効果を狙っている訳か」
「中国の動きを見て、インドやタイ、インドネシア辺りも興味を示し始めた。この辺りから大口の注文が入るとなると、真剣に中国でのノックダウン生産を検討しないといけないだろうな。早番、国内の生産だけでは追いつかなくなる」
「テツ、我々は、こんな事を始めてしまったが、今の所、大した社会的影響はない。人口に較べて、エクスロイドの数など微々たるものだし、現在、エクスロイドを楽しんでいるのは、エクスロイドのない世の中で大人になった男たちだからな。
しかし、テレビでも、ゲーム機でも、悪い影響が出始めたのは、生まれた時から、それらに触れた世代が成長してからだったと言うじゃないか。
自動車も、金持ちだけのものだった頃は、社会に対する影響など考える必要もなかったが、一家に一台と言う時代になると、確実に社会が変質した。
エクスロイドも、テレビや自動車、ゲーム機のように普及して、世の中には、男と女の歩はにエクスロイドがあるのが当たり前になるかもしれない。
そう言う世の中で育ってしまった人間が大人になる頃、社会にはどんな影響が現れるのだろう？
テツ、君はそんな事を考えた事はないかね」
大熊は、腕組みをしたまま、ダグと並んで歩いていたが、ちょっと考えてから言った。
「勿論、考える。しかし、次の世代の事は、次の世代に任せる他ない、と言うのがぼくの考えだ」
「それは無責任ではないのか」
「そうだろうか。世の中、よくなっているのか、悪くなっているのか。それを正確に予測出来るのか？そんな事は誰にも判らない。
ぼくが、小さい頃、地球はやがて氷河期を迎えるのではないか、と言われていた。
だが、その後、実際に起きたのは温暖化だ。
それを引き起こしたのも人間だが、それを解決したのも人間だ。
我々の世代が、それまでの人類がやって来た事を引き受け、努力して改善して、そして、後の世代に繋げる未来を拓いたんだ。
だから、ぼくは、人間と言うのは、前の世代の遺産をよいも悪いも全て受け継いで、その中で、よいと思う事をやって、後の世代に引き継ぐしかない、と思っている。それ以外に、生きる道があるとでも言うのかい？
新しい機械と言うのは、それがテレビでも自動車でも、ちょっと見るといきなり沸いて出たように見えるけど、実際はそうじゃない。潜在的需要があり、製造出来る技術が蓄積された時、はじめて世の中に出て来る。そのどちらかが欠けていたら、どんなに卓越した発明だって、世の中には受け入れられないんだ。
発明とは、無から生まれるのではなく、必然から生まれるものだと思っている。そして、我々のような製造業は、それを世の中に出す助産婦のようなものさ。もう、出て来る気満々でいるものを抑えつけておく事は出来ないだろう。
次から次へと新しいものを生み出すのは、人類の本質的な習性で、これをどうする事も出来ない。
私たちとしては、その習性に従って生き、死んだ後の事は、次の世代に任せる他はあるまい」
「しかし、出来るだけよい社会を次の世代に残すべきだ」
「勿論だ。だが、何をもってよい社会とするのか、それが問題じゃないか。どんな事にも、よい面と悪い面がある。同じ社会でも立場によって評価が別れる。歴史的に見たらまた変わる。
先の地球温暖化だってそうだ。誰も、環境を壊そうと思っていた訳じゃない。昨日よりいい暮らしを、楽な暮らしをしたかっただけだ。それは決して間違っていた訳じゃない。
人間は、自由に考えて行動しているつもりでも、その社会、その時代の流れに流され、ほんの僅かの選択範囲を与えられているだけに過ぎないんじゃないか？
結局、我々には、その時その時に最善だと思う手を打つ事しか出来ないのだと思う。それが、後になって悪い事にされても、だ。
我々は、先の世代から引継ぎ、その恩恵を受けると共にツケを払って来たように、後の世代にも同じ事をして貰うしかないんだ。
人類が永遠に栄える筈はない。
だが、すぐ滅びるほど愚かでもない筈だ。
その為には、とりあえず明日をよくする為の努力、それを続け、一歩一歩前に進んで行くしかないと思うのだ。人は、後ろ向きには進めない。我々の目は前を向いているのだからな」
大熊の言葉に、ダグは神妙に頷いた。
「テツ。旧約聖書によると、神はアダムから肋骨を１本抜いて、それを元にイブを作ったそうだ」ダグは話題を変えた。「しかし、最新の研究によれば、人類の原型は女で、女にならないようコントロールされた方が男になるのだそうだ」
「そうらしいな」
「ティナに言わせれば、旧約聖書は男が書いたのだから、男が女よりも優れていると言いたくて、ああ言う表現になったんだそうだ」
「そうかもしれない」大熊は、小さく笑った。「昔から、男は女に威張ってみせるのが生き甲斐みたいな所があった。それは、本能的に、そうして優位性を見せつけていないと男は存在出来ない、と感じていたのかもしれないな。
近頃は、男が威張れなくなったから、タイプＳＸがうけているのかもしれない」
「エクスロイド・タイプＳＸは、男が作ったものだ。私が言い出して、テツ、君が受けた。そして、男たちが中心になって作った」
「まぁ、そうだ」
「我々男は、歴史上初めて、自分の肋骨から出来た女を手に入れた事になるんじゃないだろうか。旧約聖書のあの部分は、男が女を作る時代を予言したものかもしれないぞ。
もし、そうなら、イヴのせいでアダムも楽園から追放されたように、我々もエクスロイドのおかげで、どうにかなるかもしれないな」
大熊は、黙って笑っていた。
「ファンタスティックね」
ティナは、一樹の方を振り向いて、ウィンクして見せた。エクスロイド・タイプＳＸの組立ラインは、今日も整然と動き、およそ５分に１体、美しい女体を生み出し続けている。
ダグが帰国してから１０日後に、今度はティナがひとりで来日した。
大熊社長と、高見沢専務は、社長交代の業務引継があって時間が取れず、ティナの指名もあって、総務部付き教育係の一樹が、応接一切を引き受ける事になった。
昨日、空港に迎えに行った時には、いつも元気なティナが珍しく疲れた様子だったので心配したが、今朝、ホテルに迎えに行くとすっかり元気になっていた。早速、新工場へ案内する事になったのだ。
今の一樹は、プロジェクト・ゼロを動かしていた頃と違って、はるかにストレスの少ない暮らしをしていた。
勿論、仕事的には傍目に心配される程、忙しい。
今や、ホクトの主力製品で、世界中から注文が殺到しているエクスロイド・タイプＳＸを生み出した、元・開発チームリーダーは、社内外で引く手数多の人気者になっていた。
本業の新入社員研修の他に、サービス研修や、社外の講演など、何かと理由をつけては引っ張り出される。
だが、大きなプレッシャーと戦う開発の仕事と較べれば楽なものだった。
「面白いわ。叔父様が、是非見て来いと言ったのも判るわ」
ティナは、興味津々と言った感じで、エクスロイドたちがラインオフして歩き始める所を眺めている。
「まるで、人間製造装置のようね」
「何も知らない人が、最後の部分だけ見れば、そう思うかもしれない」
「知っていても、まるで本物の人間のような気がするわ」
「ここから見ただけじゃ、区別がつかないからね」
「見かけだけじゃないわ。セックスの能力は、人間と区別がつかない所か、人間以上なのよ」
「他に、能がないんだから……」
一樹は、妙な所で謙遜をしたが、これは設計者としてのかなり正直な気持ちの表明でもあった。エクスロイド・タイプＳＸは、他の能力を犠牲にして、セックス・サービスの充実を目指した単機能機だったからである。
「能がないと言ったって、まともに男を喜ばすことも出来ない、丸太のような女も大勢いるのよ。機械なのだから、ひとつの事がちゃんと出来れば上出来じゃない。
『ゼロ・クォーター』のお客様も絶賛してくださるし、わたしも鼻高々だわ」
ティナは、華やかに笑った。
「君は嬉しそうに笑っているけど、トランプさんは、この工場を見て不安がられていた、と大熊社長が言っていたよ」
「叔父様は、長年あんな生活をして来たせいか、最近、妙に宗教的になって来たのよ。年のせいかしら？」
ティナは、手すりに寄りかかって下の製造ラインを眺めながら、あっさりと言った。
「叔父様は、口には出さないけれど、こんなに人にそっくりな、罪深い人形を作ることを考え出した自分が地獄に落とされるんじゃないか、と怯えているのよ。きっと。
叔父様も、やりたい事をやって来た人だけど、そんな事が気になる年になったのよ」
「ふうん」積極的な同意を見せるのもまずいような気がして一樹は曖昧に頷いた。「それで、君はどう思っているの」
「何とも思わないわ。世界中には、４０億人もの女がいるんでしょう？１８歳から４０歳くらいまでの”現役”だけでも１０億以上――カズキ、この工場で、エクスロイドはどのくらい作れるの？」
「年間４万体だな」
「１０年で４０万。このクラスの工場を１０作っても４００万よね。
機械でも、寿命があるでしょう？『ゼロ・クォーター』でも８年を限界と見てるわ。
全人口の１％に達するまででも何年かかるのかな……社会に影響が出るのは、かなり先の事じゃないかしら？
あたしが、おばあさんになってからの事なんて、今、考えても仕方ないわ」
ティナは、いつものように快活に答えると、一樹の方を見て笑った。
「暢気な事を言って……これは、むしろ、女の側の問題だよ」
「そうかしら。女で困るのは、売春でまとまったお金を稼いで人だけだから、大した問題にはならないんじゃないの？」
ふと、思いついて、一樹は訊いてみた。
「そう言えば、君が管理していたコールガールの人たちはどうなったの？」
「ちょっと気の毒だけど、売春は、もうやめて貰ったわ。
全員、餞別代わりに外形データを取得して特別価格で買い取って……希望する人は、トランプ・コーポレーションのセックス・アドバイザーとして就職を斡旋したわ。
あとは、デートクラブを作らせたの。稼ぎは悪くなるけど、合法的なお仕事、ね」
「デートクラブ？」
「女性を同伴したいと言うお客さんに好みの女性を斡旋するサービスね。セックスはしない。稼ぎはよくないけど、女の子たちにすれば、今までの経験が活かせるし……次の仕事が見つかるまでの”繋ぎ”の仕事だと思っているけど」
「いろいろ考えるものなんだね」
「今まで面倒を見て上げていた子たちをいきなり放り出す事は出来ないわ。そこまで無責任になれないわよ。
それに、セックスをお仕事にする、と言う事は、あまり誉められた事じゃない、と見られているから、彼女たちには味方になってくれる人が少ないの。
パリに『ゼロ・クォーター』をオープンした時には、売春婦たちにデモをかけられたわ。でも、普通の女性は知らんぷりだったそうよ」
「売春か……」
一樹は、あらためて考え込んだ。やはり、ティナに頼むべきか。
「お願いがあるんだけど」
「何？」
「Ｂマニュアルの原典、それをぼくに預けてくれないかな」
「叔父様のお宝よ。難しいと思うけど」訝る顔つきでティナは言った。「でも、今更、どうして？」
「君がさっき言った通り、売春と言うのは、あまり誉められた職業ではない、と今はされているけど、昔はそうじゃなかった。
何時から、こうなってしまったんだろう？」
「うーん……判らないわ」
「知り合いの女性に、そう言う事を言われた事がある。彼女は、女が、女を武器とする事を否定的には捉えない人だった。
その人は、ぼくがエクスロイド・タイプＳＸを作った事に腹を立て、縁を切られてしまった。
あれは、女の誇りを破壊するものだ、とね。気持ち悪い、と生理的な嫌悪感も持ったようだけど」
「それは、判らなくもないわね。
あたしでさえ、最初、叔父様が、セクソロイドを作って欲しいと言い出した時には、気持ち悪い、と思ったのものよ。男の人って、そんなものにも欲情出来るのか、と呆れもしたわ」
「世界で最も古く、かつては聖なる仕事だった売春が、近代以降、その地位を失い、そして、エクスロイド・タイプＳＸによって、消え去ろうとしているんだ。
その歴史をまとめ、後生に残すことが必要なんじゃないか、そう思ったんだ。
そして、それは、エクスロイド・タイプＳＸを作ってしまったぼくに、その責任があるんじゃないか、と、ね。
その為に、Ｂマニュアルの原典、それを手に入れたい。そこに書かれているであろう、バビロニアの昔からの歴史を紐解いてみたいんだ」
「カズキに、そんな事が出来るの？」
「やった事はない。でも、調べものは嫌いじゃないし、それに、さっき言った知り合いだった彼女、彼女は、文筆家なんだ。
仕事は、彼女とする事になると思う」
「判ったわ。ロマンのある話ね。叔父様にはあたしからもお願いするわ。でも、こう言う話は、直接、叔父様にカズキがお願いすべきね」
「それは、勿論」
「カズキ」呼びかけて、ティナはあらためて一樹を見つめた。「あなた、やっぱりオタクよね」