Ａｃｔ．２６ 公共遊戯場
「これが入口か」
一樹は、ビルの入り口に木で組んだ門のようなものが取り付けられている前に来て行った。
「それにしても、いつ見ても堅苦しい名前だと思いますよ」
横田は、門の柱に「公共遊戯場 大門」と達筆な毛筆で書かれた表札がかかっているのを見ながら言った。
「まぁ、役人のやる事だし、仕方ないのかなぁ、と思いますけど」
――あれから２年が経っていた。
一樹は、横田に誘われ、また、開発の仕事を手伝わないか、と言われたのだ。
開発の仕事は、かなりのストレスがかかる。一樹は、一旦、その回答を保留した。
今日は、横田が、一樹の決意を促すべく、最新のエクスロイド・タイプＳＸの状況を見せようと、「川崎市公共遊戯場」に案内してくれる事になっていた。
ホクトの川崎工場では、昨年、生産能力２．５万体／年の能力を持つ新工場が完成。完成以来、早くも１万５千体を越えるエクスロイド・タイプＳＸを世の中に送り出していた。
小松崎総理の強力な後押しで普及の進む「公共遊戯場」も、早くも全国で５０カ所が稼働していた。
「川崎市公共遊戯場」は、県下でも有名な川崎駅前の色町に対抗すべく、３ヶ月前、公共遊戯公社が駅前にオープンさせた、比較的新しい施設だった。
「大賀さん、ここは利用した事あります？」
「いいや」一樹は首を横に振った。「勿論、知ってはいたけど、わざわざ入ってみる気にはなれなくてね」
一樹は、「ゼロ・クォーター」のメンバーなので、その気になればそちらで遊べる。元々、性欲はあまり強い方ではないし、会員優待サービスを使って「ゼロ・クォーター」で時折、ショートタイムの遊びをするくらいで、積極的に遊戯場を利用しようと言う気にはなれないでいた。
横田も、最近では、こうした現場に自ら足を運ぶ事は少なく、実の所は「公共遊戯場」も見学程度しかした事がない。
「中は割と洒落た作りになっていますよ。トランプ・ジャパンが設計したんだから、悪くないのは当たり前ですけど」
「まだ、５時前だと言うのに、ぞろぞろ客が来るもんだなぁ……呆れたものだ」
「夕方６時から、夜の１０時頃までは殆ど満杯になるそうです。だから、時間に余裕のある人は早めに来るようですね」
平日の４時過ぎ、と言う時間帯のせいもあってか、大学生らしい若い男が目立った。だが、中年や老人も結構いる。
目を伏せ、人目を避けておずおずと入って行く中年男もいるにはいるが、大部分はけろりとした表情をしている。外国人の姿も目に付いた。
入りやすくする為の工夫も凝らされていて、ひやかしだけの客も抵抗なく入れるように、レストランに、バーや喫茶店、ゲームコーナーなども設けられていた。いずれも、「そのこと」が目的で来たのかどうかを曖昧にする為のサービスであった。
だが、一樹の印象では、そんな気遣いは必要なさそうだった。少なくとも若い世代を見る限り、エクスロイド相手の遊びは、売春と言うよりもゲームやスポーツの一種として受け入れられているようだった。喫茶店やゲームコーナーは、「言い訳」の為ではなく、混雑時の時間潰しとして利用されているのだろう。
特に、学生風の若者たちなどには、陰湿さの片鱗もなかった。ややこしい人間関係から逃れ、機械を相手にもやもやを解消するのは、コンピューターゲームと同じなのだろう。
「何だか、ゲームセンターに来たみたいでしょ」
同じ印象を持ったらしく、横田が一樹に囁いた。
「全くだ」
一樹は苦笑した。
「ゼロ・クォーター」にある何となく勿体ぶった雰囲気は殆どなく、正に市民の為の遊び場である、と言う気分が溢れていた。
２１世紀、１９５８年まで残っていた日本の遊郭文化は、その痕跡を殆ど残さず、歴史の彼方に去っていた。
「公共遊戯場」の実務を担当する事になったトランプ・ジャパンは、当初、そんな伝統は無視して、「ゼロ・クォーター」の簡素版でいい、と思っていたらしい。
ところが、日本政府の担当の官僚の中に、変なこだわりを持つ男がいて、過去の遊郭と庶民文化の関係についての持論を展開した後、日本の「公共遊戯場」は、単なるアメリカの模倣ではない、日本の伝統文化の延長線上にあるものにせよ、と要求したのだ。
これに対しては、いろいろな意見が出たらしい。
悲惨な境遇に置かれ、人身売買と言う非人道的行為で集められた遊女が、監禁に近い状態で客を取らされていた設備を真似るのか、と言う感情論、遊女の境遇はともかく、遊郭文化や設備には合理性があり、見習うべきとする肯定論、昔の吉原遊郭を復元せよ、と言う積極復古論が入り乱れ、一時は収拾がつかなくなりかけた。
結局、調査の上で、合理的な部分に関しては伝統的雰囲気を盛り込もうと言う、いかにも日本的な手打ちがされた。
ダグラス・トランプはこの騒動に興味を持ち、この事態をまとめるのに最適な人物を思い出した。
以前、ソープランドやファッションヘルスの経営マニュアルを編纂して、提供してくれた風俗店社長だ。
あれだけのマニュアルを編纂した人物だけに、日本の性風俗産業の原点とでも言うべき、吉原遊郭についても充分な調査をしており、詳しかった。
ダグラス・トランプは、彼にアドバイザーとしての参加を求め、後に、経営する風俗店が経営不振になると、会社を清算させて、スタッフ共々トランプ・ジャパンに受け入れた。
これにより、ダグは、マニュアルの借りを返すと共に、日本の性風俗産業に進出する際に必要な、経験のある多数のスタッフを手中に収める事が出来たのだ。
そうした成果が、現在の公共遊戯場、と言う訳だ。
一樹には、どの程度、過去の伝統が活かされているかは判らなかった。
実を言うと、入口の木組の門の形も、吉原遊郭の入口、つまり大門を模したものなのだ。これを、”だいもん”と読まず、”おおもん”と読むのは、吉原の原型である京都の島原遊郭の門をそう呼んだからだ、と言う。
そうした蘊蓄と言うか、注意書きがあちこちにあり、一樹は気付いた時には、足を止め、興味深気にチェックを入れた。元々、こうした蘊蓄ネタは大好きなのである。
しかし、一樹には、妙にサバサバしているこの場所の雰囲気が遊郭を研究した結果であるとは思えなかった。
一樹自身、もし、自分がこれから人間の女性を抱き、性交をして、金を払って帰るのであれば、今のようにさっぱりとした気分ではいられないであろう、と思った。みながサバサバした表情をしていられるのは、機械と遊ぶために来ているからに違いない。
つまり、エクスロイド相手のセックスは、正にコンピューターゲームのような、一種のシミュレーションとして認識されている、と見てよさそうだ。
受付で、１日限りのビジターカードを買い、エレベーターで上のフロアに上がった。
「あれが、”張見世”か」
一樹は、パンフレットと見比べながら呟いた。「ゼロ・クォーター」の、ゼロ・プロムナードみたいなもののようだ。
張見世とは、本来、吉原遊郭で、遊客に、遊女の品定めをさせる為のやり方だった。
道路に面した店先を格子造りにし、その中に盛装した遊女たちが並んで座る。客は、それを眺めて、敵娼（あいかた）、つまり遊び相手を決めた、と言う。西洋風に言えば、”飾り窓の女”と言う所だろう。
伝統を継承しようとした公共遊戯場の設計者たちは、張見世を現代風に復活させようと努力し、とにかく名前だけは確実に復活させた。
張見世の中は、薄暗く、幅４ｍほどの細長い通路は、男たちの熱気でむせ返るようだった。勿論、空調はばっちり効いており、生理的には快適な条件なのだが、この熱気は多分に心理的なものだ。
通路の両側にはびっしりとモニターが並び、この遊戯場でサービスをするエクスロイドの立体映像が映し出されている。映像は静止画像ではなく、モニターの中で、衣装やカメラアングルも変わるし、ポーズも変わる。更に、携帯電話をかざすと情報が転送され、声とプロフィールの確認が出来る事になっているそうだが、そこまで確認する人はいなさそうだった。
ゼロ・クォーターのゼロ・プロムナードは、美術館を連想させたが、こちらはどちらかと言うと水族館だ。
一樹は、ひやかし客も混ざった男たちと張見世を見て回った。
気に入ったエクスロイドがあれば、カードをかざせばキーカードが出て来る。その辺りは、「ゼロ・クォーター」と変わらない。
日本語を話せない外国人の場合、公共遊戯場では、英語の他、中国語、韓国語、ポルトガル語が選択出来るようになっていた。もっとも、当初は日本語の他は英語だけだったせいもあり、全てのエクスロイドがそれに対応している訳ではない。
「あ、これだ。くみこちゃん」
若い男が、開いたまま持っている雑誌の写真と、スクリーンの映像を見比べながら、一緒に来たらしい友人らしい男に言った。
「おれ、これにする」
「ああ、くそ、今日はあきなにすると決めて来たんだけどなぁ、先に入られちゃった」
やはり、同様の雑誌を手にした男が答えた。
「早く決めちゃえよ。この先、もっと混むぞ」
若い男は、キーを引き出しながら言った。連れの男は、別のエクスロイドを物色し始めた。
役人が、昔の遊郭の雰囲気を出そうなどと、変な所に努力をしていても、若い連中はまるで気にもしていない。
綺麗なカタログ雑誌が何種類を刊行されていて、若い世代は、もっぱらそこから情報を得ているのだ。更に、最新の情報は、携帯電話や情報端末を使ってネットから手に入れる。
張見世に行って、飾り窓の情緒を楽しむより、事前にカタログ誌やネットで情報を仕入れてから出掛けるのだ。
一樹も、先程、待ち合わせをした研修センターで、横田から「プレイゾーン」や「ＳＸマガジン」など、幾種類かのカタログ誌を見せて貰っていた。
エクスロイドたちのさまざまなポーズや顔のアップ写真、身長・体重・ＢＷＨのサイズなどの基本情報に加え、何処の店に何時から出ているのか、と言う情報が掲載されている。
雑誌によって、趣向が微妙に違い、上つき気味、下つき気味、締まりの度合いなどの微妙なデータが出ているのもあるし、読者インプレを掲載し、体験をこと細かに紹介しているのもある。
更に、雑誌には映像を収めたディスクもつけられていた。
その内容は、張見世で見せる映像に、様々なプロモーション映像がセットされたものだ。女の子の日常の過ごし方や、趣味に興じる姿、それに簡単なインタビューも収められているが、これらはデータ提供者のものになる。これら映像の提供元はホクトで、固有癖収集の為の映像の一部を公開しているのだ。
これらのデータは、それぞれのエクスロイドに個性を生み出す為に使用されるから、客は、エクスロイドに、リアルな生身の女性のイメージを投影する事が出来るのだ。
一樹は、これらの雑誌を見て、これは若い男たちが夢中になるのも無理はない、と思った。
グラビア誌や写真集などと違い、これらの雑誌は見て楽しむだけではない。
誌面に出ている綺麗な女の子たちは、手軽な料金で、安全快適この上ないセックスの相手をしてくれるのだから……
若者たちの間では、張見世は、ただエクスロイドの確認する手段としてしか利用されていないように一樹には感じられた。
好みのエクスロイドを選んでいく若い男たちは、悪びれもせず、恥ずかしそうでもない。正に、ゲームセンターと言う雰囲気だった。
どう見ても２０歳前の若者が、なぜ、ある程度の収入の裏付けを必要とするメンバーズカードを持っているのか、ちょっと不思議な気もするが、これも「ママ」の配慮かもしれない。一樹は、自分があの年頃に感じた焼けつくような欲望を思い出していた。
どうにもやり場のない肉体の疼き、はち切れんばかりに膨れ上がった欲望、若さ故の溢れ出るエネルギー……それらが、エクスロイド・タイプＳＸの素晴らしい身体とテクニックにより、簡単に、しかも、うしろめたさを感じる事無く解消出来るのだ。
この所、少年犯罪の件数が下降している、と言う事だが、遊戯場の影響も多分にありそうな気がした。
しかし、最初っからタイプＳＸで馴らされてしまった身体が、本物の女性を抱いた時、どうなるのだろうか。相手を満足させられるのだろうか。
タイプＳＸほど感じやすく、しかも、男に快感を与えてくれる女性など、現実にはいないのだから……一樹は、少し気になった。
落ち着いてくると、周囲を観察する余裕が出て来る。
見回していると、裕福そうな身なりの中年の白人男性が、キーを引き出そうとしているのが目に入った。さりげなくチェックすると、選んだエクスロイドは、小柄で童顔の少女っぽい感じだったが、身体はなかなかグラマーだった。
「もっと、細いのを出せばよいのに」
男は残念そうに呟くと、キーを取り出した。
一樹は、かつてティナから、少女型を作れないか、と打診された事を思い出していた。なるほど、現実にこうしたロリコン男が存在しているのだ。
人間の場合、少女姦は許される事ではないが、エクスロイドであれば別に構わない訳だ。むしろ、少女に対する性犯罪の抑止効果が期待出来るかもしれない。
ティナの話を聞いた時には、いささか現実離れしているように感じ、また生理的嫌悪感もあって、少女型を造る事を真剣に検討しようとはしなかった。実際、１８歳未満のモデルから外形権を買う事も問題だし、小型になれば設計も難易度を増す。
しかし、あんな客もいる事だし、これは今後のバリエーション拡大を考えた方がいいかもしれない、と一樹は考え、既に開発に戻った気分でいる事に苦笑した。
一樹と同い年くらいの男性が、清楚な感じのほっそりとしたエクスロイドを選んでいた。男の左手の薬指には指輪が光っている。
この男は、妻に内緒で来ているのだろうか。あるいは、エクスロイド相手なら構わない、と思われているのか。
最近の調査によると、自分の夫が、人間の女性と浮気するのは許せないが、エクスロイドなら構わないと思っている女性は４６％いる、と言う事だった。つまり、女性の約半数は、エクスロイドを「モノ」としてしか認めていない。
しかし、３６％は人間との浮気と同じだと感じ、１２％は、人間よりエクスロイドとする方が不愉快、６％がわからない、と言う回答だった。
この結果を見た時、一樹は少しほっとしたものだった。
経済的な問題を別にすれば、家庭的トラブルにはなりにくい、と言う事になり、それだけエクスロイドを作る側にとってよい商売が出来るのだ。
張見世の中では、次々に客が敵娼を決めていく。ざっと見た所で、既に半数近くに客が入っていた。
川崎駅に近いこの遊戯場は、地上１０階のビルのうち、７フロアを占めている。１階は受付、３階が張見世で、４０室の遊戯室を持つフロアが５つある。エクスロイド２５６体、コントローラー２基を備える、標準的な施設だ。
清掃中などで使用出来ない部屋を除き、既に７０〜８０室が埋まっている。この状況からすると、５時過ぎからは、満室、時間待ちになりそうだった。
「横田」一樹は、つかず離れずでついて来る横田に向かって、いささか古めかしい言葉をかけた。「我らもここらでぼちぼち登楼いたそうか」
「ここまで来たんですから、せっかくですからやって行きますか」
横田は、大して気のなさそうな声で言った。
エクスロイド・タイプＳＸ開発の責任者の横田だけに、気のないのも当然だ。会社の外に出たらエクスロイドから開放して欲しい気分なのだろう。
だが、開発者としては、ユーザーの立場に立って見る事も必要だ。
「ショートタイム、４０分のでいいかな。２回戦する程の体力はないし……」
「じゃ、５時４０分に２階のバーで落ち合いましょう」
横田が時計を見て言った。
「ああ、じゃ、適当に選んで遊んで行く事にする」
一樹は、そう言うと、張見世を逆戻りした。さっき、見ていった中に、ちょっと静佳に似た感じのエクスロイドがいたのだ。
個性は、肉体的特徴と結びつく、と言うのが静佳の考えだった。そうプログラミングされている以上、外見の似たエクスロイドであれば、個性も似た感じがあるのではないか、と思ったのだ。
あいと言う名前のそのエクスロイドは、まだ客がついていなかった。
ちらっと見た感じでは似ていると思ったのだが、じっくり見ると、同じ様な小作りな顔立ちでありながら、切れ長の瞳のすっきりとした印象の美少女だった。垂れ目で温和そうな静佳とはいささかタイプが違う。
一樹は、ビジターカードをかざし、エントリーした。
時間は、４０分のショートコース、言語は日本語、部屋は洋室。料金は、これで１万円だった。しかも、登録会員となれば更に料金は２０％ＯＦＦになるのだ、と言う。
これは、概ねファッションヘルスと同額であった。遊戯場は、本番（性行為）が出来ると言う強みがあり、サービスの質も高い。また、本番の出来るソープランドに対しては価格が約半額、そして、何と言っても、遊戯場は選り抜きの美女を揃えているのだ。その差は圧倒的だった。
遊戯場のオープンにより、川崎の性風俗産業が壊滅的打撃を受けたのも当然であった。この調子では、特殊な嗜好のサービスを行う店か、固定客を掴んでいる店しか生き残れないだろう、と予測されていた。
それは、川崎だけの特殊な事ではなく、新宿（歌舞伎町）、池袋、横浜、雄琴、すすきの、中洲など、先行する遊戯場周辺でも同じ事が起きていた。
当然、既存の性風俗産業界からは反発を受け、抵抗もあった。
暴力団による嫌がらせや、妨害工作もあったが、そこは総理大臣直率の国家事業である。警察の徹底した取り締まりで、迂闊に手を出した暴力団組織が文字通り「殲滅」されてしまうと、震え上がって二度と手出しはなかった。
潔く看板を下ろし、地元情報に精通すると共に客筋も知っていると言う点を売り込み材料に、ジャパン・トランプか、公共遊戯公社への転職を図った業者が結果としては最もマシな判断をした事になった。
出て来たキーカードには、「あい ６０６号 洋室 日本語 ４：４８〜５：２８」とプリントされていた。
部屋の準備でもあるのだろうか、１０分ほど待つことになりそうだった。
張見世を通り抜け、突き当たりのカウンターで、着替えとタオルを受け取る。そして、ロッカールームで、衣服を、遊戯場のバスローブ（和室選択の場合は浴衣）に着替えた。
時間が少しあるので、あちこち見て回る。ロッカールームにはシャワールームがあった。ショートタイムの場合、時間が限られているから、プレイの後、ここで汗を流すのだろう。
時間を見て、エレベーターで、６階に上がる。
６０６号室に入ると、中はダブルベッドの置かれたシンプルなホテルの１室、と言う感じになっていた。一樹は、実験室を思い出す。
「いらっしゃい、あいです」
裾の短めのナイトウェアを着たあいが、ぺこり、と頭を下げた。
小作りな童顔のあいの顔は、モニターで見た通り、ちょっとは静佳に似ていた。「ゼロ・クォーター」のエクスロイドとは違い、遊戯場のは原型に殆ど修正を加えていないから、人間らしさを強く感じる。
一樹は、バスローブを脱いで、ベッドに上がった。４０分のショートタイムでは、自分から動いていかないといけない。
「今日は、フリーで入ったのね。どうして、わたしを選んだの？」
下着姿になったあいがすり寄って来て訊いた。
「君の事を気に入ったからさ」
「うそ。わたしが空いていたからでしょ」
「嘘じゃない。実を言うと、逃げられた彼女に似ていたからさ」
「別れたの？」
「逃げられた」
「ふうん」あいは、上目遣いに一樹を見上げた。「じゃ、今日はたくさんサービスしてあげる」
あいが顔を寄せて来た。一樹は、その唇にキスをする。
かつて、中崎が苦心の末に作り上げたエクスロイド・タイプＳＸの舌や口腔粘膜の感触は、未だに改良が続けられていた。
煙草と酒に荒れた、人間の娼婦は勿論、本物の若い女性とのキスさえを凌ぐものになっていた。
エクスロイド開発から離れ、時折、思い出したように「ゼロ・クォーター」で遊んでみるだけになっていた一樹は、エクスロイド相手に、つい本気になった。
あいの下着を脱がせる。
ほっそりとして見えた肢体だが、モデルが年若かったのだろう、処女太りとまではいかないが、ウェスト周りのくびれが足りず、やや寸胴な印象を受けた。だが、さすがに肉体の締まりと張りは申し分ない。
一樹は、思わず見とれてしまった。
この内部構造まで詳しく知らないで抱くことが出来たらどんなにいいだろう、と思うと、一樹は一般客が羨ましかった。
勿論、一般客も、エクスロイドが機械である事は承知しているが、それは、ほんの表面的な知識に過ぎないから、感覚的には若い女性を抱くのと変わらないらしい。
残念ながら、エクスロイドを知り尽くした一樹には、どうしてもエクスロイドを人間と感じる事は出来なかった。
それでも、肉体は反応してしまう。
ベッドに仰臥した一樹の股間で、あいはペニスを舌先と指で刺激し続け、勃起すると嬉しそうに口にくわえた。
「おっきくなってきた」
しゃぶりながら、ちらちらと一樹の表情を見る。目が合うとおどけて見せた。
やがて、上体を起こし、ベッドの上にあぐらをかいた一樹に、あいは笑顔で言った。
「だっこして」
顧客プロフィールから年齢差を見たのだろう、あいのプレイ内容は、徹底サービスと、甘えの２つの合わせ技で来るようだった。
あいが、座り込んだ姿勢を取った一樹の腕の中に入ってくる。対面座位の体位だ。
首に巻いた腕で体重を支え、深く結合したまま巧みに腰を使うあいに思わず一樹も夢中になった――そう、これは静佳も好んだ愛し合い方だったのだ。
一樹は、束の間、あいの肉体に溺れた。
とは言え、一樹は、抱き締めたあいの身体に、静佳のしなやかな身体を重ねてイメージしていたのだ……
「いやまったく、すごい熱気ですね。これほどとは思いませんでしたよ」
横田は、バーのカウンターでビールのジョッキを片手に言った。
「そうだな」
一樹は、病気の後、アルコールを止めていた。クランベリー・ジュースのグラスを取る。
「何かが始まっている、と言う感触がありますね。新しい何かが……」
「そうだな。おれは遊戯場自体初めてだから圧倒されっぱなしだ。『ゼロ・クォーター』じゃ、妖しい雰囲気は感じても、ここのような迫力はない。確かに、何か始まって・・・何かが起きているよ。
ここじゃ、みんな嬉しそうで活気に溢れている」
「活気と言うだけじゃないですよ、これは」
横田は、一樹との議論が好きだ。久々の題材に乗って来た。
「開放感じゃないか、とぼくは思うんですけど。
男なんて、慢性の性的欲求不満状態みたいなのが普通でしょ。普通の男は、その不満を、ちんちんが勃つようになった１０代の頃から、使えなくなるまで、ずっと我慢しているんですよ。
綺麗な女の子を見たって、口説けるチャンスは千回に一度もないし、上手く行く保証もないし。やっと相手を見つけた所で、したい時に出来る訳じゃないし。それに、女は、ムードだの雰囲気だのが好きでしょう。男にすれば、そんな事には二の次なのに、一応はご機嫌も取らないといけない。
そうかと言って、金で自由になる女を相手にしても、本当にいいと思える娘は少ないし、やっぱり後ろめたいし、病気の心配もある訳ですからね。それに、何のかんの言っても高くつくし。
ところが、ここじゃ、水準以上の綺麗な娘が選り取り見取りで、こちらが機嫌取る必要もないし、うしろめたさも病気の心配も、後腐れだってない。サービスとテクニックは人間じゃ到底不可能なレベルになってます。
まぁ、我ながら大したもの作っちゃったと思いますけど。
それでいて、費用は、今までの女遊びの半分とか三分の一で済む。
つまり、『求めよ、さらば与えられん』に近い状態、今まで、王侯貴族とか、限られた人だけが体験出来た事が、ここで初めて庶民にも与えられた、そう言う事じゃないでしょうかね。
みんなその事を喜んでいるんですよ、貴族の享楽が、大衆にも開放された事を」
「そこまで、人間の雄が性欲に振り回されているかどうかは疑問だけど、今までなかった状態が始まったのは確かな事だと思う。
ただ、今のこの熱気は、物珍しさも手伝っての事だと思うけどね。こう言うのは今、日本で何カ所あるんだ？」
「この川崎市のが４２店目、だったかな？今は５０を越えている筈です」
「もっと増えて、既存の風俗を駆逐するようになったら……世の中も変わるかもしれないな」
「遊戯公社は、とりあえず、エクスロイド５万体、全国で１５０店を展開する計画ですけど、上方修正されるかも知れませんね」
バーのカウンターから見ていても、客が続々とやって来るのが判った。
「それにしても、凄い売り上げだろうなぁ……」
一樹が呟いた。
「ここ、週末は１日、２０００万円以上の売り上げがあるそうですよ。
公営ギャンブルが、ここの所、パッとしなくなったので、競馬場なんかをツブして公共遊戯場を誘致しようとしている自治体があると言うけど、この客の入りを見ていればそんな気にもなるでしょうね。
何しろ、客の回転が早いし、エクスロイドは、人間の女の子と違って、いくら働かせても文句も言いませんからね。儲け放題ですよ」
「ハセに聞いたが、市場不具合も初期トラブルが落ち着いて殆どなくなったようだな。今は、えと……あれだ、身請けで、個人宅に引き取られたエクスロイドのアフターフォローの方が忙しいと言っていた」
「あと、厭なのが、悪戯ですね。
日本だと、治安のいいせいもあって、タチの悪いのは少ないんですけど――警報装置の事をオーバーに言ってあるし、即、警察に引き渡す、と言う事にもなっていますしね。
これは、この先、どんなのが出て来るか判らないですね」
「『ゼロ・クォーター』では大変だったんだろ？」
「ええ、エクスロイドの自宅引き取りを断られ、それならば、と切り付けた男ですね。損害賠償請求したら、自殺しちゃったんで……連邦政府が捜査に乗り出して、大変な騒ぎになりました。
それから、エクスロイド破損に対する損害賠償請求には慎重になっているそうですよ」
「そりゃそうだろうなぁ……」
「でも、大賀さん。エンジニアと言うのは、考えようによっては、無責任な稼業ですよね」
二杯目のビールを飲み干し、横田は溜息をついて言った。
「そうかなぁ。お前だって部長だろ。機体設計の部長の責任は、そんなに軽くないものだと思うぜ」
「会社に対してはそうです。でも、社会的にはこんなに無責任な稼業はありませんよ。注文を受けて作ったものが、その時点でコンプライアンスに反してなければ、あとは売れさえすればいいんですからね」
「そりゃそうだ。他に、どうしようもないだろ。売れなければ、食って行けない」
「その通り」
横田は、ビールのお代わりを頼んだ。
「だから、後になって社会的な影響、公害、環境変化を引き起こしても、エンジニアが責任を問われる訳じゃない。責任は、その便利さを享楽した人間全部で負う。作ったエンジニアは免責です」
「そうでなかったら、エンジニアなんてやってられない。なろうとする奴もいなくなるだろうさ。片っ端からムショ入りだ」
「エクスロイド・タイプＳＸだって、よく考えるとヤバいですよね」
横田は、通常あまり酒を飲まない。空腹時にジョッキ２杯のビールを空けたせいで、酔いが回ってとろんとした目つきで言った。
「別に危なくはないだろう」
「そう、ちんちんがちょん切れたりはしませんよ。でも、あんないい女を、あんな金で何時でも抱ける。何処か間違ってると思いませんか？
いい女を抱く為に努力する、それがなくなってしまうんじゃないか、と。
ここに来ている若い男どもを見ましたか？どいつもこいつも、女の子からは鼻もひっかけられないような奴らばかりです。でも、ちょっとした金でいい女が抱ける」
まぁ、正にそう言う狙いで作ったんだからな、と一樹は内心で思った。
「しかし、文明ってのはそう言うもんだ。
暗い夜も、電気の明かりで明るくなる。お陰で、幽霊が出なくなった。
暑い夏も、エアコンで快適だ。夏風邪で体調崩す事が多くなったけど」
「そう、それなんですよ、大賀さん。
そう言う事をひとつする度、何か便利になる度に、ぼくらは何かを犠牲にしてると思うんです。幽霊もそうです。
最近、ぼくは、週末、ひとりで山に籠もっているんです。電気もない、水道もない、真っ暗な闇の中で焚き火の炎を見つめていると、自分のやっていることが途轍もなく奇妙な事に思えてしまって……」
「……」
「今度、ぼくの今やってる仕事を見てください。
いろいろ悩んだんですけど、ある時、これが必要な人がいる、と思って開発しました。そして、大賀さんには必要だと思います。怒られるかも知れないですけど。
でも、それが正しい事なのか……ひょっとしたら、ぼくはとんでもない事をしているかもしれないんです」
酒に強い方ではない横田は、最後の方は、ろれつが回らなくなっていた。
だが、酒の助けを借りなければ言葉に出来ない、大きな悩みがある事は判った。
それが何か――一樹は、久々に開発に戻り、それを確かめる覚悟を決めた。