Ａｃｔ．２１ 総理のアイデア
「……どの省庁も引き受けては下さらないのですか」
内閣総理大臣小松崎涼子は、閣僚の顔を一人ずつ見回しながら、感情を押し殺したような声で言った。
「予算は充分につけます。ポストも増やします。しかも、立派な大義名分もあります。いずれ、世界の注目を集める事になるでしょう。それなのに、何故、どちらも引き受けたがらないのか、理解に苦しみますね」
鶴のようにほっそりとした長身の優美な女性だが、柔和な表情の奥に、こうと決めたら決して揺るがない固い意志が秘められているのを、閣僚の全員が知っていた。
小松崎内閣は、既に５年の間、政権を担当して、未だ、その基盤は揺るがない。
マスコミや、文化人に受けのいい、「改革」政策を次々に打ち出し、華々しい成果を挙げ、しかも、日本初の女性総理と言う事で、婦人層を中心に人気があり、支持率も高かった。更に、未だ５９歳と言う、政治家としては若手の部類に入るから、あと５年くらいは楽に政権を維持出来るだろう、と言うのが政界の観測だった。
「私としては、これは文部科学省で扱う案件ではと思っていますが」
マスコミや国民の前に見せるにこやかな笑顔とは別物の鋭い視線で刺し貫かれた小山文部科学大臣は、狼狽した。
「し、しかし」小山大臣は、おどおどした口調で答えた。「これは管轄違いと心得ます。やはり、人間の問題となりますと、保健関係を担当する厚生労働省が適当では、と思います」
「はぁ」
総理の腹心とも噂される、内閣唯一の女性大臣、大内千草厚生労働大臣は、おっとりとした口調で応じた。
「当然、生身の人間であれば厚生労働省の専門ですが、こと機械となれば、文部科学省さんか、経済産業省さんの管轄ではないでしょうか。後になって、『うちの管轄に手を出した』と仰られても困るのですが」
「機械と言っても、うちは人間に直接関わるものに手を出した前例はないではないか。現に、医療機器関連は厚生労働省で見ている。何年、大臣をやっとるんだ」
経済産業大臣が、不機嫌そうな声を出して、大内厚生労働大臣を睨み付けた。
「不勉強の至りで申し訳ありません」
厚生労働大臣が素直に頭を下げてしまったので、経済産業大臣は、肩すかしを喰った格好になった。その勢いを、別の方向に投げつける。
「事は、女性問題です。この手の問題は、昔は内務省の管轄だった。当然、総務省で面倒見るべきではないのかね」
「ふん」狷介そうな総務省大臣が鼻を鳴らした。「総務省に機械を管理する組織などないことくらい、前に大臣を務めた君ならよく知っているんじゃないかね？
総理、これは総理のお考え通り文部科学省で担当すべきだと存じます」
上手く責任を回避し、しかもボスの顔を立てた総務大臣は、内心、してやったりと思いつつ、追従笑いをしたが、それに乗るほど甘い小松崎総理ではなかった。婦人問題や教育改革など、草の根運動から叩き上げて政界入りし、保革双方の弱点を突き、時に利用して、最高権力者にまで登り詰めた小松崎涼子は、並みの人間ではないのである。
大臣の首のすげ替えなど朝飯前で、その切れ味と、ねばり強い不屈の意志から、かつての英国宰相、”鉄の女”こと、マーガレット・サッチャーにちなみ、”鋼の女”と言われるに相応しい人物なのだ。早くも、２１世紀最強の総理と言うのが定説になりつつある。
その小松崎総理に厳命されていると言うのに、どの大臣も逃げ腰になっている。それは、管轄下の官僚たちの方が、ボスよりも恐ろしいからだった。
引き受けて、総理によい顔を見せるのは悪くない。当分は受けもよいだろうが、官僚からは徹底的に白眼視され、針のムシロに座らされるような羽目になっては寿命が縮む。そして、失敗でもすれば、総理からも切り捨てられ兼ねない。
この案件は、それ程の難物、と、居並ぶ大臣は見ていた。
「小山さん、やはり、文部科学省では引き受けてくださらないのですか？ロボット研究は文部科学省の管轄でしょう」
「文部科学省でのロボット開発支援の対象は先端技術研究が主となっております。この案件のような応用技術と、運用に関しましては文部科学省では受けかねます」
「そう言う事であれば……」
小松崎総理は立ち上がった。グレーのスーツは地味ながらもオーダーメイドで、総理のほっそりとした身体にぴったりと似合っていたが、大臣たちに、ボスの衣装を鑑賞するだけのゆとりはなかった。
「この案件は、総理直轄の職務として、補佐官を置いて対応する事といたします。
私には、これ以上、女性の尊厳が傷つけられているのを座視してはいられません。このままでは、日本は駄目になってしまうでしょう。
そして、この方法が、思いつく限りでもっとも有効な対抗手段である事は、先に説明した通りです。しかも、民間の力を活用し、大きな予算を必要としません。
例え、あなた方が、どんなに責任回避をされても、私がその責任を取ります。
その代わり、この案件に関して、一切の権限を私が有します。積極的に協力せよとは言いませんが、足だけは引っ張らないでください。よろしいですね」
閣僚たちは、総理の迫力に思わず目を伏せて頷きながら、内心、汚れ仕事を押しつけられずに済んだ事に、安堵の溜息を漏らした。
閣僚の大臣たちに、一昔前なら幾らかは残っていた脂ぎった物欲のにじみ出ているような人物はひとりもいなかった。
最近では、政治家も「二世」が多い。
政治家の親から、幼い頃からエリート教育を受け、一流大学を出てキャリア官僚になり、父親や親族の病気や死亡によって、選挙基盤を”相続”し、母親や、しっかり者の妻に尻を叩かれて選挙を戦い、地盤を守る。
小松崎総理が、好んで閣僚に取り立てたのは、このような男たちが大半だった。
いずれも、それなりに有能なのだが、覇気に欠け、成功よりも己の地位を守る事を優先し、名を汚す事を嫌う。そして、母親や妻の強い影響下にあるせいか、女性には従順であった。このような閣僚など、草の根運動の時代から権力闘争に明け暮れた百戦錬磨の小松崎総理にとって、操り人形のようなものであった。
小松崎総理にしてみれば、この”汚れ仕事”を、どの省庁も引き受けたがらない事など、最初から予測済みであった。それでも、最初から独断でやった、と言う事ではなく、誰もやらないので自ら引き受けた、と言うのでは、周りの反応も違うし、後になってひっくり返される事もまずない。一度は断った話だ、と言う引け目があるからだ。
小松崎総理は、内心、ほくそ笑んでいた。
新たな案件……それによる莫大な利権と金づる、それが労せずに我が手に入ったのだ。しかも、閣僚の同意の元に。
１０兆円産業とも言われる性風俗産業。そこに、日本政府が、総理直率で参入しようと言う前代未聞の計画はこうして動き出した。
その１週間ほど前の事になる。
品川のホクト本社をひとりの女性が訪れた。
内閣総理大臣秘書と言う肩書きを持つその女性、伸田歩は、高見沢専務を前に、こう切り出した。
「これは、もうお読みになられたでしょうね」
ＶＩＰ応接用の特別会議室のデスクの上に置かれたのは、２週前のニューズウィーク誌であった。
「はい、一通り読みました」
高見沢は、ごく事務的に答えた。
ホクトは、大熊社長の方針で、政界及び行政機構との関係を必要最小限に絞って来た。それは、アイチ自動車と言う強大な後ろ盾を持つ強みと、要人ダブル用のエクスロイド・タイプＳと言う裏ビジネスのお陰でもあったろうが、創業以来、政治家の顔色を伺わずに済むようにやって来られたのは事実なのである。
だからこそ、高見沢は、総理大臣に繋がる要職の人物に対しても卑屈になる事はなかった。
勿論、総理大臣秘書が、何を目的に訪れたのか、と言う事に対しては警戒心を抱いていた。
さすがに相手が相手だけに、幾つかの予定をキャンセル、それなりに準備を整えて、今日の話し合いに臨んでいた。
恐らくは、エクスロイド・タイプＳＸに関する事であろう、との予測はついていたが、政府が何を考えているか、判断をしかねていたのだ。
「『ゼロ・クォーター』の記事も勿論、お読みになられましたよね」伸田は、付箋紙の貼ってあるページを開いた。「この記事に出てくる『エクスロイド・タイプＳＸ』は、ホクトさんの開発品ではないのですか？」
「弊社の製品です」
「では、それについて各方面からコメントを求められているのに、ホクトさんの広報では一切回答なさらないと伺っております。何故でしょうか？」
「エクスロイド・タイプＳＸは、弊社の自主開発商品ではなく、トランプ・コーポレーションの発注に基づき、共同開発して来たものです。
契約により、ビジネスに関する全ては、トランプ・コーポレーションの管轄下にあります。その為、トランプ・コーポレーション抜きに、対外広報を行ったり、その意向をホクトが代弁する事は出来ないのです」
高見沢は、”建前”を淡々と語った。
年明けにニューヨークで「ゼロ・クォーター」ナンバー・ワンが開業してから半年が過ぎた。「ゼロ・クォーター」とエクスロイド・タイプＳＸは、ダグラス・トランプの見込み通り、広く話題となっていた。
開業時、２４体しかなかったエクスロイド・タイプＳＸだが、半年後の現在では既に１８０体以上が稼働しており、「ゼロ・クォーター」も、早くも５店目が営業開始していた。
だが、予想以上の需要で、１８０体のタイプＳＸは、殆ど１００％の稼働率になっていた。
ティナは、営業当初、料金を１時間＄２５０、２時間で＄４００に設定した。
これは、中級コールガールの料金で、ティナが管理していた時間当たり＄５００〜＄１０００にもなる高級コールガールと直接は競合しない。
しかし、エクスロイド・タイプＳＸの美貌とサービスは、高級コールガール以上で、それが中級コールガールに相当する手軽な料金で堪能出来る、と言うのが「ゼロ・クォーター」のウリであった。
開業直後の出足こそ悪かったが、３ヶ月目くらいから人気に火がつき、それ以降は、予約を押さえるのが難しいと言う繁盛ぶり。
プレミア価格として、料金を１時間＄３００とし、回転を上げる為に２時間のサービスを停止してもその人気は止まらなかった。
１８０体のエクスロイドが稼働するようになった先月には月の売り上げが２０００万ドルに達したのだ。
ティナは、ホクトに対し、発注済みの８００体に加え、更に１０００体を追加注文したが、バックオーダーが６００体以上ある状況では、全部が納入されるのは何時になるか判らない状況だった。
ティナは、この状況を逆手に取り、「ゼロ・クォーター」をエスタブリッシュメントの為のクラブのような性格に仕立てて行った。
エクスロイド・タイプＳＸの性能は、体験者のうち、９５％以上の男性を夢中にさせたし、数年の間は競合者が現れる事もあり得ない状況だったから、「ゼロ・クォーター」の商売は完全に売り手市場だった。
ティナは、メンバーの資格を厳しく審査し、エクスロイドの破損を防ぐために、変態的・嗜虐的な嗜好のある客も排除した。
厳しい審査をパスし、メンバーズカードを手に入れられたのは、少数の選ばれた人々だけだった。
話題性を嗅ぎつけたマスコミが動いたが、トランプ・コーポレーションは、業務内容を示したパンフレット提供以外の一切の取材協力を拒否。隠せば現れる、と言う原則を徹底して貫いたのである。
マスコミが駆け回った所で、せいぜい協力的なメンバーの話を聞くくらいしか出来なかった。
僅かな材料から、推理と憶測によって作られ、メディアに流されたニュースは、メンバーの絶賛と相まって、人々の想像力をかき立てた。
判らないのなら、行って体験してみるしかない。
そう思うのが人間心理であり、それが僅か半年で絶大な人気を勝ち得た理由のひとつでもあった。
「ニューズウィーク」誌が、「ゼロ・クォーター」とエクスロイド・タイプＳＸに関する詳細な記事を掲載したのは、様々な憶測記事が氾濫している最中であった。
さすがに、三流タブロイド誌がヨタ話紛いの記事を書き散らし始めたので、情報操作の一環として、定評ある雑誌に独占取材と掲載を許したのだ。
その権利を得る為、「ニューズウィーク」は莫大な金額をトランプ・コーポレーションに支払ったと言う。
「ゼロ・クォーター」を紹介した記事の掲載号は、大増刷するも、それでも売り切れが続出する程で、人々の関心の高さをあらためて伺わせた。
「ニューズウィーク」にスッパ抜かれた世界中のメディアは、トランプ・コーポレーションの広報部に殺到した。
だが、彼らがそこで得られたのは、「ニューズウィーク」誌が掲載した記事の元ネタとなった情報と、マスコミ向けのメンバーズカード優先購入権だけだった。
次に彼らはホクトに目を向けた。
しかし、ホクトのガードも同様に固く、先に高見沢が話ししたのと同様の回答が得られただけだった。
「ニューズウィーク」の記事は、決してセンセーショナルな扱いではなかったが、エクスロイド・タイプＳＸの性能と完成度に対しては、最大級の言葉で賞賛していた。そして、性の開放が、思想でも宗教でもなく、病気と妊娠からの開放の結果として自然に行われたように、人類最古の職業として、その歴史と共に歩んで来た売春も、大きな節目を迎えざるを得ないだろう、と結んでいた。
勿論、如何に、大金を積んで許された取材であっても、そこは一流のジャーナリストを揃える「ニューズウィーク」誌だけに、「ゼロ・クォーター」を全面肯定している訳ではなく、もっとも人間的な行為と言えるセックスが、先端技術により人工化される事への疑問も示していた。だが、今の段階では、それは小さな懸念でしかなく、そんな内容を気にする読者は殆どいなかっただろうが……
「なるほど、それではここでも教えてはいただけないのでしょうか」
「やはり、ここはトランプ・コーポレーションの広報に問い合わせていただくべきではないか、と」
「それは、既に行いました」と、伸田は言った。「しかし、記事以上の……こちらが望むような結果が得られず、それでこちらに伺う事にしたのです。
事情は判りましたが、そこを何とかお願いします。勿論、ここで得た情報を開示するような事はいたしません。ホクトさんにも悪い話ではない事を、私、いいえ、内閣総理大臣・小松崎涼子の名においてお約束します」
要は、訊き易い所に来た、と言う事だな、と高見沢は納得をした。総理大臣秘書と言う肩書きの重さも、日本とアメリカでは勿論違う。その肩書きを活かして、頭を下げないでも済む所に来た、と言う事だ。
だが、確かに悪い話ではなさそうだ、と高見沢は思った。
総理の権限を持ってすれば、総務省を動かし、警察力で締め上げる事も勿論出来る。
それをせず、あくまで下手に――ただし、それ故内密に――動いている、と言う事は、それを利用する事で、こちらの益もあるはずだ。
「そう言うつもりでおみえになられたのであれば、私どもともしましても、出来る限りの情報提供はしたいと考えますが」
「助かります」
伸田はほっとしたような表情を見せた。
「ただし、私どもはエクスロイドの製造業者です。情報の提供は、エクスロイド関連に限定させて頂きます。それでよろしいでしょうか？」
「結構です」
伸田の返事を聞き、高見沢は内線電話を取り上げた。待機している秘書へ電話をかける。
「私だ。大賀くんと横田くんをこちらへ――うん、そうだな、使えるんだったな。よし、連れて来るように伝えてくれ」
程なくして、まずは飲み物が運ばれて来た。相手が相手だけに、さすがに緊張していたようで、渇いた喉に冷たいものがありがたかった。
「高見沢さん」
伸田は、高見沢がグラスの飲み物を飲み終えるのを待って、おずおずと訊く。
「高見沢さんは、エクスロイド・タイプＳＸを……その、ええと、試された事がおありですか？」
「勿論です。担当役員として、幾度も実験をしております」
「エクスロイドは、人間の女性と……本当に、同じような感じなのでしょうか？」
伸田の口調が、更に言い難そうなものになった。だが、高見沢は、平然として答えた。
「セックスの感覚だけに関して言うなら、人間の、大部分の女性より優れていると思います。何の説明も受けない場合、そして、会話の内容を制限する事が出来るなら、大抵の場合は、人間の女性でない事に気付かないでしょうね」
「本当ですか」
伸田が、ぱっちりした目を更に丸くした。
「その辺り、これから詳しくご説明いたしましょう」
丁度、そこへ一樹と横田が、いづみを連れて会議室に入って来た。
「紹介しましょう。こちらは、エクスロイド・タイプＳＸの開発チームリーダーの大賀、同補佐の横田です。エクスロイド・タイプＳＸについて最も詳しい２人です」
一樹と横田が挨拶し、名刺交換して席に着き、プレゼンテーションの準備を始める。
いづみは、入り口付近の椅子に腰を下ろした。
地味なビジネススーツを着せてはあるが、いづみの美貌は人目を引く。紹介もされず、挨拶もないいづみに、伸田は怪訝そうな視線を送った。
「それでは、エクスロイド・タイプＳＸについてご説明いたします」
と、持ち込んだコンピューターを使い、横田がプレゼンテーションを始めた。
要人ダブル用のタイプＳを多く手がけて来た一樹は、政府関係者とのコンタクトが以前からあり、内閣総理大臣秘書と言う肩書きにもびっくりしない。
伸田歩は、３０代後半、と一樹は見た。小柄で、顔も丸ければ体つきも丸い。愛嬌はあるが、美人ではないし、スタイルもよくはない――まぁ、名前とイメージはあっているか、と、一樹は、本人が知ったら怒り出しそうな事を考えた。
女性の権力者は、自分の周りに自分より美貌の女性が配置される事を好まない事が多い。それが自分より若ければ尚更だ。小松崎総理も女性だけに、そうした傾向はあると言う事か、と一樹は納得をする。
結婚指輪をしているから、セックスの話題を振ってもそう支障はないだろう、とも思った。
簡単なプレゼンが終わり、横田はプロジェクターを消し、会議室の照明を点灯した。
もう終わりか……と伸田が物足りなさそうな表情をする。
「いづみ」と、横田は待機していたいづみに声をかけた。「プレゼ位置へ」
「はい」
と、答えていづみは立ち上がった。この会議室には、プレゼンテーション用に、全方位カメラと、エクスロイド通信制御用無線ＬＡＮ端末を備えている。もっともホストコンピューターは設置されておらず、川崎の開発にあるホストと社内ＬＡＮで結ばれているだけなので、多少の機能制限はあるが、プレゼンには支障ないはずだ。
いづみは、コの字に並べられたテーブルの中央、伸田の正面に立って一礼した。
伸田は、間近に見て、いづみの美貌に内心、感嘆していた。まるで女優のような美人……こんな美人が何を、と訝った次の瞬間、横田がびっくりするような事を言った。
「いづみ、脱いで」
何を言い出すのか、と思った伸田を更に驚かせたのが、いづみ、と呼ばれた目の前の美人が、躊躇うことなくスーツの上着を脱ぎ落としたからだ。
いづみは、更にスカートを下ろした。身をくねらせ、スカートを脱ぎ捨てる仕草が何とも色っぽい。並みの男であれば、これだけで鼻息が荒くなるような光景だったが、何とも異常なのは、それが、白昼堂々、一部上場企業の会議室で行われている、と言う事だった。
しかも、居並ぶ男達はそれを平然と見ていた。
白昼、悪夢を見ているのではないか、と、現実を受け止めるのに戸惑い、言葉も出せずにいた伸田だが、そこは総理大臣秘書を務める程の女性である。最初のインパクトが薄れれば持ち前の聡明さが顔を出す。
「まさか……これが？」
と、何とか、それだけを言葉にして質問をする。
「そう、これが、エクスロイド・タイプＳＸです」
「これが……」
と、呟きながら、伸田は目前の見事な女体を見つめた。
いづみは、ブラジャーを外した。豊かなふくらみが弾けるようにまろび出る。はっとしたように伸田は言った。
「ここまでで結構です」
「そうですか」横田が頷いた。「いづみ、そこまで。そのまま待機」
いづみは、黒のパンティとストッキング、それにガーターベルトと言う姿で背筋を伸ばして直立した。
横田は勿論、このまま全部脱がせて全身を披露するつもりでいたのだが、これはこれで扇情的な姿ではある。まぁ、女性である伸田秘書相手に、挑発の必要もない訳だが。
「近くで見ても構わないでしょうか？」
「どうぞ、よければ触ってみてください」
高見沢が快諾したので、伸田は席を立ち、恐る恐ると言った感じで、いづみの側により、そしてそっと手を伸ばす。
体温が意外だったのだろうか、伸田は触れた指を一度ひっこめ、それからまた手を伸ばし、感触を確かめる。暫くの間、全身を観察して、伸田は席に戻った。
「いづみさん、もう結構ですよ」
いづみは反応しない。訝る伸田に横田が言った。
「エクスロイドは、命令者の言う事しか聞かないんです。――いづみ、元の位置へ」
いづみは、入り口横の座っていた席に戻った。着ていた衣服はそのままである。
「脱ぐのは自分で出来るんですけど、いづみには自力で着る機能がないんですよ」と、一樹がフォローした。携帯電話を取り出し、控えている実験スタッフに連絡する。「いづみと衣服の引き上げを頼む」
「素晴らしい出来映えですね。作りものだとは思えませんでした」と、伸田は、いささか興奮した様子で言った。「『ニューズウィーク』の内容が納得出来ました」
「ありがとうございます」
高見沢は、素直に頭を下げた。
「ところで、実際の満足度合いは如何なものでしょう？人間の女性を相手にした時と同じに得られると考えてよろしいのでしょうか？」
「難しい質問ですね」と、高見沢は腕を組んだ。「恐らく、肉体的な快楽の度合いは、エクスロイドの方が上ではないか、と考えております。
ただし、セックスとは肉体的快感だけを求めるものではなく、コミュニケーションの一種でもありますから……」
「確実に言えるのは、真に愛する女性とのセックスには敵わないでしょう」と、横田が言葉を継いだ形になってフォローを入れた。「愛している女性とのセックスには、肉体的な快楽以上の満足があって、それは何ものをもってしても代えられないものかと思います」
こう言うちょっとクサい台詞を臆面もなしに言えるのが、横田の凄い所だ、と一樹は感心をした。”愛している”など、一樹は、これまでの人生で一度も言った事がない。
「そうでしょう。そうでなくてはいけません」
横田の答えは、伸田を満足させたようだった。伸田は、嬉しそうに頷いた。
「しかし、男は、愛のないセックスを望む場合があるのです。肉体的な満足のみを求める事がですね。恐らく、世の中の大半の男性は、愛する女性がいても、他の女性とのセックスを楽しめるはずです」
「売春行為が根絶出来ないのは、その為と考えてよろしいでしょうか」
「まぁ、これは男性の生理現象のようなものですから……古今東西変わらない、これが、ひとつの原因ではあるでしょうね。しかし、愛情と無関係にセックスをする女性たちもいるからこそ、売春が成立する事もお忘れにならないでください」
「勿論、それは承知しています。女性が一方的に正しい、と言うような短絡した考えではありません。
それは総理のお考えと一致する所でもあります。
過去はともかく、現代においては、売春行為は、その事自体を犯罪として取り締まるべき対象ではない、と言う方向へ政策の転換を計るように進めております」
頷きながらも、高見沢は、総理が、この女性をここに送り込んで来た理由を計りあぐねていた。
そこに実験スタッフが来て、いづみと衣服を回収して行った。その間、会話が途切れる。
実験スタッフが退出した後で、高見沢は、こちらから切り出す事にした。
「伸田さん、そろそろ、来訪の目的を教えてくださいませんか」
要は、本題に入ろう、と言う促しだ。伸田は、小さく咳払いをしてから口を開いた。
「それでは……更にひとつ、お聞きしたいのですが」
「何でしょう」
「『ゼロ・クォーター』のような、その……サービスを日本でも始めようとする動きはないのでしょうか？」
「伸田さん、それは――」
困ったような顔をした高見沢に、伸田は澄ました顔で言った。
「『ゼロ・クォーター』の経営戦略をご存知なくとも、日本仕様のエクスロイドのオーダーが入っているとか、そうした事はお判りになるでしょう」
伸田も、伊達に総理大臣の秘書を務めている訳ではない。エクスロイドに関連する事なら、と言った高見沢の言質を取って食い下がる辺りは、したたかなものであった。
「参りましたね」 高見沢は苦笑した。「正直に申し上げますと、日本市場への展開は、計画こそあるものの、未だ様子見と言う所です」
「なぜでしょう？」
「記事を読めばご理解頂けると思いますが、ニューヨークでは、『ゼロ・クォーター』を非常に高級なイメージで定着させる事に成功しました。
しかも、男性の相手をするのが、生身の女性ではなく、機械であるせいか、”売春”と言う行為につきまとう陰湿なイメージが払拭されており、清潔なイメージがあるのです。
しかし、日本でも同じように成功するかどうかについては自信が持てない、と言うのが正直な所です。国民性も違いますし、”行政指導”と言う名前の規制で縛られるかも知れず……」
最後の部分を、高見沢は皮肉混じりの笑顔で言った。
「規制などとんでもない。行政指導があるとすれば、それは早期に展開をして欲しい、と言うお願いになります」
「ほう」
高見沢は、意図を探るような表情になった。当初、「ゼロ・クォーター」の国内進出は控えてくれ、と要請されると予想していただけに、意外な感じを受けたのだ。そして、その理由を知りたくなってくる。
小松崎内閣は、清潔な社会作りをスローガンにしていた。そのひとつの柱が地球環境改善への貢献、もうひとつが、明るく健全な社会の実現だった。
環境改善努力については、小松崎内閣以前から綿々と積み上げて来たものがここに至って効果を見せているに過ぎない、と言う見方もあって、小松崎総理は、もうひとつの柱、健全な社会作りに熱を入れていた。
その中で、槍玉に揚げられたのが性風俗産業だった。総理への点数稼ぎとして入れ込んだ総務省と警察の締め付けにより、一時は、こうした風俗店は壊滅寸前にまで追い込まれた。
政府は、代わりに、スポーツを奨励し、予算も増額した。これにより日本スポーツは、今までにない勢いを得たものの、スポーツでセックスの代償行為をさせるなどと言う計画は、最初っから破綻していて、却って性犯罪が増加する状況となってしまった。
世の中建前通りには行かない事を思い知らされ、小松崎総理は、性風俗産業を必要悪として割り切らざるを得ない所に追い込まれた。だが、政府が一度振り上げた拳を容易に下ろす訳に行かず、実際には現場で取り締まりの手抜きをさせる、と言う苦肉の策を取るしかない状況だった。
「総理は、若い女性が身体を売り、自らの尊厳を傷つける事を憂慮しておられます。
その一方で、行き過ぎた自由の弊害とでも言えばいいのでしょうか、若い女性たち自身に、自らの尊厳を守ろうと言う意志が希薄となり、お金と引き替えに、平気で男性に身体を自由にさせるようになってしまいました。
『売春防止法』の廃絶も提案されるような有様で、まことに嘆かわしい次第です。
また、女性に過度の経済力を与える事が、婚姻率の低下、更には出生率の低下を招いていると言う説もあり、いずれにせよ、若い女性が身体を売る行為を止めさせる事、それが急務だと考えております」
そんな所まで政府が踏み込むのはどうかと思うし、そもそも、セックスなどモラルと法律の範囲内で自由にやらせておけばよいと、一樹は思うのだが、とかく政治家と言う人間の頭の中身は古いのである。
「そこに降って湧いたのが、『ゼロ・クォーター』のエクスロイド・タイプＳＸの話題でした。
最初は、何かのジョークかと思い、やがて半信半疑となり、『ニューズウィーク』の特集を読んでからは、これこそ売春を禁止することなく、自然消滅させる事の出来る手段なのではないか、と思うようになりました。
『ニュースウィーク』には”いかなる人間の娼婦とても、これほど巧みなラブメイキングをして男性を満足させ売るとは思えない。もし、これ以上の満足があるとすれば、それは愛し合っている男女の間における、技巧を超越した恍惚感のみであろう”と書いてあります。
これが本当とすれば、遊戯目的のセックスで、エクスロイドに対抗出来る女性はいない事になりますね」
「その通りでしょう。我々も、そう考え、そう言うものを作ったつもりです」
「売春行為を消滅させる事が出来るでしょうか？」
「難しい質問です」高見沢は首をひねった。「人間の嗜好は、多種多様なものです。必ずしも、人間の娼婦が１００％失業するとは思えませんが、エクスロイドの普及により、かなりの影響があるのは確実だろう、と思います」
高見沢は、技術畑の人間らしく用心深い物言いをした。だが、高見沢も内心では、エクスロイドが中小都市まで普及するようになれば、職業としての売春は殆ど成立しなくなるのではないか、と考えていた。
勿論、ＳＭプレイや同性愛、スカトロジー（汚物愛好）のような特殊な嗜好は、今の所、エクスロイドでは対応出来ない。ただ、これらは特殊例であろう。
「総理は、真剣に考えておられます」
伸田は真剣な表情で言った。
「女性を、売春と言う非人道的行為から解放する為に、先程、拝見したエクスロイドはこれ以上ない存在だと考えています。
もし、日本で『ゼロ・クォーター』のような施設が各地に出来れば、女性たちが身体を売る行為が、後を絶つとまでは行かなくても、少なくとも大幅に減るでしょう。
女性の尊厳が守られ、ひとりの夫と添い遂げる時代が来ます」
「はぁ」
高見沢は曖昧に頷いた。１９歳になる娘がいる高見沢にとって、複雑な心境だった。
余所の娘に対しては、成人した女性が何をしようが、好きなようにすればよい、とは言えても、自分の娘が僅かな贅沢や遊興費稼ぎに、男に抱かれると言うのは許せないのが親心と言うものだ。出来れば、ひとりの男と添い遂げて欲しい。
「政府としては、どのような計画をお持ちなのですか」
つい、感情移入してしまいながら、高見沢は訊いた。
「この件に関しては、総理自らその任に当たる覚悟です。その際には、私が総理大臣特別補佐官として計画の推進に当たる事になっています」
「『ゼロ・クォーター』を日本でもオープンせよ、と？」
「はい……いいえ」伸田は、変な答えをした。「勿論、トランプ・コーポレーションさんのご協力を頂かなくてはいけませんが、『ゼロ・クォーター』そのままではいささか具合が悪いと考えております」
「なぜでしょう？」
「『ゼロ・クォーター』では、上流社会の人々から会員を募り、一種のエリートクラブの形をとっておりますが、私どもの考える目的にはそぐわないでしょう。
門戸は広く、あらゆる人々に平等なサービスを与えるべきだと思います」
「平等、ですか」
「はい。誰でも利用出来る。高齢者や障害者、それに、伝染病患者などにも等しくサービスしたい、と考えております。政府が国民にサービスする、と言うのはそうしたものでしょう」と、伸田は胸を張った。「何人にも平等で、良質のサービスを安価で提供する、それにより、既存の売春行為を自然消滅させる事が可能と考えております」
「国営で行う、と言うのですか？」
高見沢は、呆気にとられながら伸田の顔を見つめた。”国営遊郭”とか”公営娼館”と言う言葉が頭の中を駆け巡る……どう考えても悪い冗談にしか思えなかった。
「国営、と言うのは難しいでしょう。政府出資で、トランプ・コーポレーションさん協力による新会社を設立してはどうか、と思っているのですが」
「では、弊社に何を期待されるのでしょう？」
「勿論、エクスロイド・タイプＳＸの増産です。
私の試算では、およそ５万体のエクスロイドを全国中小都市にまで展開させる事で、既存の風俗産業、そして、一般女性の”援助交際”と呼ばれる売春行為に対する抑止が出来る、と考えています。
その５万体のエクスロイドの生産をお願いしたいのです」
高見沢は息を呑んだ。一樹と横田も同様だった。正にケタ外れの打診だった。
「それは、とても……」
「勿論、すぐにと言う訳でも、一度にと言う訳でもありません。これから５年計画で、と考えれば、それほど非現実的な数とは思えませんが」
「しかし、エクスロイド・タイプＳＸは、この半年で漸く１８０体を送り出せただけでして……」
「川崎に建設中の新工場がございますね？建築申請書を見た所、現有設備の２倍以上の床面積のある工場と見ました。設備の方も最新のものが導入されているようですね。この新工場が稼動状態になれば、相当の生産能力増強が図られるのでは？」
おっとりとした外見に似合わず、追い込みに入った伸田はなかなか厳しかった。そこまで調べられていては、とぼけるのも難しい。
高見沢は覚悟を決めた。
政府がこちらの足を引っ張るどころか、積極的に利用しようとしているのが判ったのだ。何も慌てる事はない。ただ、新工場がフル生産に入る目処が、少しばかり早くなっただけの事だ。
そして、それは高見沢の考える次のステップ、夢の実現に一歩近付いた、と言う事だ。
「判りました。ホクトとしても最大限の努力をお約束いたします。何分、新工場は未だ建設途上故、その生産能力について即答は出来かねますが、近日中にとりまとめ、ご報告したいと思います」
「ありがとうございます」
「また、トランプ・コーポレーションについても、よろしければ私どもの方から政府方針を伝え、協力を取り付けるようにしたいと思いますが・・・」
高見沢は、積極的に協力する姿勢を見せた。
エクスロイド・タイプＳＸを使ったセックス・サービス業が、如何に儲かるビジネスであるか、高見沢は「ゼロ・クォーター」の経営データを見て知っていた。
数十ワットの電力と、僅かの維持費だけで、疲れることもなく、洗練されたセックス・サービスを提供し続ける人造美女たち。
休むことなく人造筋肉を動かし、男たちから精液を搾り取るエクスロイドには、労働問題も人権問題も病気もない。年老いる事もないし、文句も言わない。そして、客は感激し、満足して大金を払っていく。
エクスロイドを増産し、客層を広げ、より多くの人が気軽にサービスを楽しめるようにしよう、と言うアイデアは、ティナとの話し合いの中で既に出ていた。
もっとも、現状ではタイプＳＸの生産台数がまだ少なく、「ゼロ・クォーター」の新規出店すら制限されているが、新工場での生産が軌道に乗り、台数が増えれば、当然、そのアイデアを実行に移す事を考えるつもりだった。
それを政府が後押ししてくれるのだ。これは有り難い話だった。
弾圧や妨害、それらから身を守る為にも、政府が乗り出してくれるのは好都合だった。
「税制の上でも優遇措置を講じるつもりでおりますし、暴力団の介入、妨害などないように、総務省・警察当局にも断固たる態度で臨ませますから、是非とも協力をお願いいたします」
伸田秘書は、にこやかに言った。
高見沢は、武者震いする思いであった。伸田の丸顔は、この時の高見沢には、ギルガメッシュ神話の豊穣の女神、イシュタルのように思えた。