Ａｃｔ．９ 初号機
一樹は、実験室のダブルベッドで、息を弾ませながら仰向けになっていた。横では、エクスロイド・タイプＳＸの試作初号機のいづみが、目を閉じて豊かな胸をゆるやかに上下させている。
初号機の完成は、予定よりずっと遅れて、２月の中旬になってしまった。
確かに、試作機の完成が遅れるのは珍しい事ではない。とは言え、プロジェクト・ゼロの場合は、注目度が違う。遅れている間は、３日に１度は高見沢専務から、進捗報告と、遅延の理由説明を求められ、週に１度は大熊社長へ進捗状況を説明しなければならなかった。
一樹としては、上部の要求と、現場の問題の板挟みになって脂汗を流す毎日だった。
最初の実験は、例によって一樹が行う事になった。
結局、零号機の初品評価の例を踏襲し、人体実験となると一樹が責任者として一番槍をつける習慣が出来上がってしまった。
勿論、小変更や、一樹の不在時などは身体の空いている者が適当にやってしまうのだが、試作初号機ともなれば、試験は一樹が担当するのはごく自然な成り行きで、今、それを終えた所だったのである。
初号機は、零号機と同じく彩名いずみをモデルとする、「いづみ」として作られた。これは、評価の際に、外観の差異による印象の差が生じないように、同型にしておく必要がある、と考えたからだ。
零号機にも、初号機のアイテムが後付けされたりもしたので、外見からではまず判断出来ない。その為、初号機にはラベンダー色のナイトウェアを着せた。勿論、今度は、静佳が見繕ってくれた。
外見は区別がつかない程に似ていても、初号機の性能は、零号機とはまるで異なっていた。
零号機の評価結果を元に、２課の面々が頭を悩ませて作り上げた初号機だった。
エクスロイドを小変更した零号機とは異なり、骨格から見直された初号機は、５％も軽量化されて、モデルとした彩名いずみの体重に近い所までになり、コンピューターも、頭蓋内部に置くと言うスペースの制約から開放されて、大幅にパワーアップした。
空間認識・自己判断力も強化され、同時に練り直された動作プログラミングにより、より一層女らしいしなやかな動作を実現する筈だ。
一樹は、いづみの待つ実験室に入ると、いづみを引き寄せてベッドに腰掛け、膝の上に抱き上げた。
いづみは、両腕を一樹の首に回し、じっと目を見つめながら愛らしく微笑み、ちょっと首を傾げて挨拶するような仕草をした。
綺麗な唇を見ると、ついキスしたくなるが、中崎の努力にも関わらず、この初号機にも満足するレベルの唇と口腔は間に合わなかった。まぁ、唇は何とかなったのだが、衛生的に問題なく、しかも、微妙な感覚を有する人間の唇と舌を満足させられる人工の口腔と舌は完成にはほど遠い状況だった。
初号機には、静佳がメイクを施していた。その点でも、すっぴんだった零号機とは印象が変わる。もっとも、メイクした顔を拝めるのは一樹だけで、この後は洗浄する際に、メイクは落とされてしまうのだが。
服を脱ぐ一樹を、いづみは手伝った。勿論、服を脱がせる事までは出来ないが、脱いだ服を整えて、ベッドサイドの駕籠に入れるくらいは行える。
服を脱いだ一樹は、いづみからも服を脱がせ、抱き上げてベッドに横たえる。
いづみの左側に横になり、右腕を腰にかけて軽く引き寄せる。
若い娘らしい肌の匂い。これは、初号機から追加された発汗装置から流れる人工汗に、人の体臭の成分を添加したもので充分に本物らしい。発汗装置を追加した事で、浸透性を増した肌のしっとりした手触りもいい。
そっと乳房に触れてみると、いづみは、口を半開きにし、小さくあえぎ声を漏らした。吐息と、声の感じにも、今度は違和感はない。
一樹は、両腕をいづみの胸から腰に廻し、しっかりと抱き寄せた。
暖かい肌の感触が快く、身体の柔らかさも問題なしだ。
零号機で気になった腹部の電池は、ソフトパッケージのリチウムポリマー電池に置き換えられた。これは、ハードケースの代わりに、レトルトパックのような分厚いアルミラミネートフィルム製の袋を電池容器とするものだ。いづみの腹部に詰め込まれたこの新型電池は、あたかも人間の内臓そっくりの感触になるよう、クッション材と合わせて調整されていた。
腕を肩から下半身まで移動して、いづみとの全面的な接触を試みる。しっとりした肌、内部は暖かいが外気でひんやりしている肌触りは、若い健康な女性そのものと言ってよかった。一樹の身体はすぐに反応した。
乳首を揉むと、あえぎは更に激しくなって、軽く身もだえながらかすれたような声を出す。
一樹は、反応を確認する為、首筋や腰、腿の外側などに愛撫の手を伸ばして行った。いづみの反応は、身体のどの部分に対してもかなり敏感で、場所ごとに、ピクリと反応したり、意味のはっきりしない声を出したりする。
いづみの身体を一通り愛撫した一樹は、柔らかな内腿にそっと手をかけた。僅かな抵抗があり、ちょっと力を入れると諦めたように脚を開いた。
指を外陰部に滑らせると、潤滑剤で暖かく濡れている。これは、陰部や膣内に設けられた分泌孔から、内蔵ポンプにより、刺激の積分値に対し一定の比率で押し出されて来るよう、設計してあるからだ。
小陰唇を分け、陰核に指を滑らせると、いづみはまるで痙攣するように腰を前後させ、喉の奥から小刻みなあえぎを放つ。
それに合わせ、陰核が勃起して来た。内蔵ポンプが、刺激に応じて液圧をかけ、勃起を再現しているのだ。このリアリズム追求。なるほど、零号部品の完成が遅れた訳だった。
中指を膣内に挿入する。全身の震えを伴い、膣が収縮し、指を締め付ける。ここまで来ると、一樹は、もう主任設計者ではいられなかった。
自分の設計した自動人形に、まるで人間の美しい女性に対して感じるのと同様の性欲を感じ、己の肉体が反応する事に、若干の嫌悪感を感じながらも、一樹は、いづみの見事に伸びた両足を大きく開かせ、腿を抱えると、一気に挿入した。
それから先の感覚は、実際の性交と殆ど変わらないと言ってよかった。
確かに、冷静になれば、動作や反応が過剰かもしれない。
ただ、多少の過剰な演技は、人間の場合でもある事で、特にＡＶなどと比較をしたらまず違和感のないものだろう。
いづみは、激しくあえぎながら、脈動する強い締め付けを繰り返した。それは、単なる繰り返しやランダムではなく、男の感覚を統計学的に処理した計量性科学的なリズムによるもので、平均的男性に対し、最大の性的刺激を与えるように計算されたものだった。
いづみとの性交には零号機で慣れていたつもりの一樹にとっても、これは強烈な刺激だった。
むしろ、今までとはまるで違うと言っていいものだった。様々な体位を試みなくては、と思ってはいたのだが、巧みに男の動きに合わせて腰を突き上げるいづみに、思ったより呆気なく果ててしまったのだ。
同時に、いづみは、細く長い声を絞り出し、全身で一樹の身体を包み込むようにして身体を震わせた。そして、いづみの膣は別の生き物のように痙攣し、一樹を絞り立てる。
行為の後、いづみは暫くの間、大きくあえいでいたが、やがて手足の力を緩め、呼吸も静かになった。そのまま、眠り込むように瞼を閉じる。
一樹は、いづみの上から降りて、横になったが、こちらはおいそれと呼吸が楽にならない。
快感の余韻を身体に残して、大きく息をつきながら、一樹は、デジャヴにも似た奇妙な感覚を覚えていた。
今、終わったばかりのいづみ初号機との実験は、初めてであるにも関わらず、どこかで体験したことがあるように思えてならなかったからだ。
快楽から現実へ立ち戻った一樹は、これは静佳との経験に似ているのではないか、と思った。
いづみ初号機の反応の多くが、静佳のベッドでの仕草を引き写したものではないか、と思い至ったのだ。性感帯も、静佳にそっくりだった。
仕事納めのあの日以来、一樹は静佳と５回の夜を過ごしていた。
いづみの反応が、ヘルマンやワイリーの計量的な性科学データに基づくものであったとしても、実際の動作には、静佳の経験と知識が織り込まれている事には違いないだろう。プログラミングには横田も参加しているが、彼はどちらかと言うとハードやシステム構築を得意とし、静佳が入ってからは、演出動作は任せっ切りのはずだ。
一樹は納得したものの、これは、ちょっとした問題だと思った。
ひとりの女性プログラマーが、ひとつのパターン、あるいはごく類型的なパターンの行為しかプログラミング出来ないとなると、ＳＸの動作はかなり類型化される恐れがあるからだ。
静佳クラスの優秀な女性プログラマーを、ＳＸ専任として数多く確保するのは、どう考えても無理がある。
しかも、この問題、一樹は、２課の中でさえ共有化して話し合う訳には行かなかった。
話す為には、静佳との関係を説明せねばならない。勿論、独身の社員同士が何をしようと、それが問題になる会社ではないのだが、それにしても独身女性の性生活を、気心の知れた仲とは言え、いや、だからこそ話す訳にはいかない。
また、静佳に話すのも何となく気が引けた。いかにＳＸを通じてであっても、自分のベッドでの癖や仕草を大勢の男たちが実験する事を知れば――恐らく、無邪気な静佳だけに、そんなことを意識せずにプログラミングしたのだと思うが――恥ずかしく思ったり、不愉快に感じるかもしれないからだ。
年末の一件で、一樹は、静佳が問題をぎりぎりまで抱え込んで表に出さない性格と言う事を思い知った。この件も、下手に話すと、静佳にまたストレスをかける事になりかねない。これは慎重に事を運ばねばならなかった。
「……ん」
傍らでいづみが動き出した。行為の時間と激しさに比例した時間を置くと、初号機は「客」の送り出しシークェンスに入るのだ。
いづみは起き上がり、ベッドサイドからタオルを取って身体を隠すと、恥ずかしそうな表情を浮かべながら一樹を見る。
「よかったよ」
と、声をかけると、
「あたしも」と、頷いてにっこりと笑う。「また、来てくれる？」
「ああ」
「約束して」
「いいとも」
こうした会話は、続けようと思えばかなり続けられるだろう。
勿論、人工知能を使用している訳ではなく、あらかじめ準備されたシナリオに則り、あとは、会話の内容を、内蔵するデータベースと突き合わせて当たり障りのない返事をする会話プログラム――いわゆる「人工無脳」――を使っているだけなのだが、初号機ではシナリオも練られ、データベースも充実して違和感を感じさせる事が少なくなっている筈だ。
「いづみ。終わりにしよう」
これが、実験終了のコマンドになっている。
いづみは、予備起動状態になり、無表情になって、ベッドから降りると、バスルームに行き、自動洗浄機に入った。
これは、初号機の製作に合わせ、ホクトのサービス部門に作らせたもので、エクスロイド用の自動洗浄機を元に作られたものだ。
感じとしては巨大な食器洗浄機をイメージだ。
内部の便座状のシートいづみが腰を降ろすと、内部洗浄用ノズルが膣に挿入されて洗浄を開始。次いで、温水が全身に吹き付けられて、内部・外部ともクリーニングされる。
シャワー水流が止まると、エクスロイドの表皮を痛めない程度の温風が吹き付けられて水分を飛ばしていく。
この過程を見守りながら。一樹は、言い知れぬ空しさを感じていた。どんなにエクスロイドを巧妙に作り上げても、所詮、満足できるのは、射精欲だけであって、本当の意味での性欲、セックスではないような気がしてならなかった。
相手が、人間であれば、それが例え行きずりの安娼婦であったとしても、こう言う空しさは感じないのではないだろうか。
感情のない機械との性交は、本当の意味でのセックスではなく、マスターベーションの一種ではないか、と一樹は思った。
初号機完成の翌日、高見沢専務が初号機の確認と試験の為に特機２課を訪れた。
試験の後、一樹は、高見沢専務に質問をした。何故、自分なのか、と。
「私は、未だに自分の判断を間違ってはいない、と思っているがね。プロジェクト・ゼロを推進するのに、大賀君、君以上の人選はないと思っている」
「しかし、こう言っては何ですが、私でいいのでしょうか？
プロジェクトリーダーは独身者の方が好ましいと言う考えは判りますが、私は女性経験も多いとは言えませんし……」
「だからだよ」と、高見沢は言った。「だからこそ、大賀君は、未だ女性に理想を抱いているだろう？現実の女性を知れば、ともすれば失望し、あるいは現実に合わせてしまう理想像を、君は未だに持っているんじゃないか、と思っている。その、理想の女性、それを作って欲しいと思っているんだ」
「それは……」
「幻想でも妄想でも構わない。ひょっとしたら、現実の女性とは違う存在になるになるかもしれないな。
でも、大賀君は以前言ったろう、『普通の女性には相手にされない男性』、そこをターゲットにする、と。そんな男性たちの女神になる存在を作ること……君になら、それが出来る、と思っている」
殺し文句だな、と一樹は思った。
君になら出来る、それに乗せられて幾度も痛い目に遭っている。そして、これは飛びっきりの難題だった。
「そこにあるもの」を作るだけでも難しいのに、「頭の中にしかないもの」を作れ、と言う事。
確かに、それは開発ならではの仕事だ。
しかし、今回のこれはものがものである。
高見沢専務の要求は、人を超えるものを作る……正に「神」の仕事だった。
「実際、もうここまで出来ているじゃないか。あと一息だ。期待している」
と、高見沢は一樹の肩を叩いた。
大きなプレッシャーに打ちのめされ、さすがに、任せてくださいとも、頑張りますとも言えず、一樹は苦笑しつつ頷いた。