Ａｃｔ．７ 瓜とエクスロイド
忙しい日々は続いていたが、漸く、夏休みがやって来た。
もっとも、一樹は、これを機会に溜まった仕事を片付けるべく、休暇の半分は休日出勤するつもりでいた。
それでも、息抜きは必要だ。
一樹は、恵に連絡を取り、久々に２人で映画を観に行く事にした。
家族連れで賑わうハリウッドの超大作は避け、恵お勧めの単館系映画を、渋谷のミニシアターに観に行った。
「……何だか疲れてるようね」
映画を観て、それから、渋谷には珍しい落ち着いた和風レストランに腰を据えた所で、恵は心配そうに行った。
「忙しくてね」
「無理しないでね」
「ありがとう。でも、仕方ないんだ」と、一樹は言った。「何しろ、新製品の開発ってのは、半端な忙しさじゃないんだ。産みの苦しみ、ってヤツだね」
「以前言ってた、社長特命業務、ね」恵は、しっかり話を覚えていた。「それって、エクスロイドの新型？」
「……」
一樹に答えられる訳もない。
「ああ、訊いても答えられないよね」恵は納得して頷いた。「それにしても、お人形屋さんも大変ね」
「人形、か」
一樹は、思わず苦笑した。プロジェクト・ゼロで開発するエクスロイドは、人形と言うにはあまりにも生々しい機械になっていたからだ。
「ね、聞きたい事があるんだけど」
「何だい？」
「以前にも見せて貰ってるけど、エクスロイドはいくらでも綺麗に作れる訳でしょう？」
「うん、人工的なものだから。まぁ、何を“綺麗”とするかにもよるし、クリエーターの力量にもよるけどね」
「そんな絶世の美女を、服を着せないで動かす事もあるんでしょう？」
「そうだね。試験的に動かす時には、衣装なしで動かすのが通常だけど、それがどうかしたのかい？」
「うん・・・綺麗な女の人のエクスロイドが服を着ないで目の前を動き回ったら、男の人は妙な気にならないものかしら？」
「そりゃ、最初のうちはびっくりするけど。でも、エクスロイドは服の下になる部分は作りこんでいないんだ。マネキンのようなもので、慣れてしまえばどうって事はないものだよ――でも、何でそんな事訊くんだい？」
「ちょっとね」
と、言葉を濁したが、一樹は恵の目つきが変わっている事に気づいた――仕事モードに入っている。一樹は気を引き締めた。
「セックスの出来るエクスロイドがある、って聞いたのだけど、本当かしら？」
直撃。殴られたような衝撃に、頭の中が真っ白になる――どこでバレた？本当に情報が漏洩していたとしたら、これは責任問題になる。一樹も無事では済まない。
「あるんだ」
一樹の反応で、恵は了解したようだ。
「それを、どこで？」
漸く、かすれた声で言った。
「職業秘密」恵はいたずらっぽく笑う。「……と言う程の事でもないか。実は、知り合いの風俗系のライターに聞いたのよ。新宿にそう言う店がある、って」
一樹は、内心でほっとした。一樹たちの仕事が漏れていた訳ではないらしい。
「そう、か」一樹は、この場をどう切り抜けようかと考える。「……恐れていた事が起きたか」
「恐れていた？」
「ああ」一樹は、頷いた。何とか言い抜けられそうな方向性を見つけ、口を開く。「それは、ウチの仕事じゃなくって、中古のエクスロイドを改造したものだと思う。エクスロイドのイメージを傷つける事になり兼ねないから、そうした中古機もコントロール出来ない所には出さないようにしていたんだけど……何せ、２万も作ると、コントロール出来ないのも出て来るかぁ、やっぱり」
「ふうん、中古改造、ね」
恵は頷いた。先程の一樹の驚愕の理由としては半信半疑と言った所だが、ホクトの仕事ではない、と言う所は了解したようだ。
「それにしても、本当にセックス出来るロボットなんて出来るの？」
「そうだなぁ……」
一樹は、何と答えようかと頭を悩ませた。
エクスロイドを改造してラブドール化する事については、ホクト入社後、数え切れない程、話題になったり、質問されたりして来た。答えるのにも慣れてはいるが、知り合いでもあり、プロの物書きでもある恵相手に、今までの経験も、生半可な誤魔化しも通用しない事は判っていた。
結局、一樹はたとえ話をして質問をはぐらかせる作戦に出た。
「昔々、一人の旅人が歩いていると、急にムラムラ来てしまいました」
恵は、一樹が急に話題を変えたので、訝しげに表情を観た。
「折しも夏の盛り、辺りは一面の瓜畑。勿論、相手になってくれるような女性は勿論、人影も見当たりません。
旅人は、畑から瓜をひとつ拝借すると、木陰に行ってヘタの部分を切り落とし、熟した中の様子を確認するや、そこに己の欲望を差し込んで、満足しました」
「……」
「これは、江戸小噺なんでね、旅人が翌年、またそこを通ったら、瓜の子供が、父さん、父さん、といいながらぞろぞろ出て来た、と言うオチがついてる」
さすがに恵はくすりと笑った。
「オチはともかく、男の人って、本当に瓜の切り口でも満足出来るの？」
「うん……男性用のそうした補助具の中には、まさにそうしたものがある。それが、商品化されて長続きしている、と言う事はちゃんと実用になっている、と言う事だと思う」
「それじゃ、綺麗なお人形さん相手なら、もちろん、オーケーと言う事ね」
「いや、却って難しいと思うんだ。部分だけのおもちゃであれば、あとは想像力で補えるけど、それを丸ごと作ってしまったら、リアルになってしまうからね。そのもの自体が、男性を満足させられるものを作るのは、途方もなく大変だろうね。
これまでにも、作ってみないか、と言う冗談混じりの話はあったけど、苦労すれども益少なく、ホクトでやるようなものじゃない、と言う所に落ち着くのが決まりみたいなものだったんだ。
聞いた話と言うのも、エクスロイドをよく知る人間が改造したものだと思うけれど、どうせ大したものじゃないと思う」
「その割には随分驚いていたじゃない」
「だからこそ、さ。ロクでもないもの作られたら、エクスロイドの商品価値に傷がつくからね」と、一樹は言い訳がましく説明し、それから尋ねた。「その話だけど、詳しく教えてくれないか」
「どうして？」
「知ってしまった以上はね、調べてみたいんだ。場合によっては、会社に報告して判断を仰がないといけない」
「藪蛇だったかぁ……」恵は溜息をついた。「わかったわ。それじゃ、後で資料をメールで送る」
「ありがとう」一樹は、頭を下げた。「でも、妙な事調べてるんだな。仕事？」
「うん。この間、国会審議された事で話題になった、あれ。『売春防止法』廃止について。あれで１本書こうと思っているのよ。
それで、風俗産業をあれこれ調べているうちに飛び込んで来た話だった訳」
「なるほど、そう言う訳だったのか」一樹は納得した。「しかし、何でまた？」
「そうね……『売春防止法』は、総理の意志もあって、法案存続、規制継続になったけど、あたしはあれは時代に逆行する判断じゃなかったのか、って思うのよ。
確かに、女性にお金を払ってセックスすると言うのは道徳的によろしくない、と言う事になっているけれど、でも、その“道徳的によろしくない”って言う部分は、すごく曖昧じゃないか、って。
あたしが、結婚していた、と言うのは以前に言ってたわよね？」
「うん」
「短い間だったけど、あたし、専業主婦ってのをやったのよ。
ダンナになった人はそれなりに収入もあったし、あたしは、とにかく他人と何かやろう、と言うのが苦手だから、結婚を機に会社辞めて、奥さん業と言うのをやってみた訳。
あれって、今になって思うと、要は、住居と生活費を与えられて、その代償にセックスしていたんだなぁ、と言う気がしなくもないのね。
ずっと昔なら、家事労働も大変だったでしょうけど、最近では便利な家電製品もいろいろあるしね。そもそも、ひとり暮らしをしていたって、その辺りをやらずに済む訳はないんだから、それが２人分になっても手間が２倍になる訳じゃない。
そうすると、今までのように働きもしないで、それでも暮らして行けるのは？って考えたら、月幾らと言うお金を貰って、代わりにセックスサービスを提供しているだけ、と言えなくもないでしょう。
愛人と言うか、固定客１人の娼婦と言うか……まぁ、それは極論でしょうけど」
「でも、それでも旦那さんに惚れていたとか、理由があったんだろう？金だけが理由じゃないはずだよね」
恵が過激な事を言い始めたので、一樹は、なだめに入った。
「それは当然よ。でも、逆に、ダンナに生活力がなかったら、それを押し切ってまで結婚はしなかったでしょうね。
でも、愛人関係でも恋愛感情はあるでしょう？また、娼婦であったとしても、馴染みの客に特別な感情を持つことがないとは言えないと思うけど」
「まぁ、そう言う事もあるだろうね」
「つまり、昔はどうだったか何て判らないけど、今の世の中では、結婚と売春の間に、それ程、はっきりとした線が引けないんじゃないか、って思うのね。
だとしたら、法律で禁止しようなんて事はおかしいでしょう？そもそも、違法となるボーダーラインがはっきりしないのに」
「なるほど」
一樹は頷いた。確かに、あれほど有名無実化している法案も少ない。実際、“現場の判断”により黙認されているのが現実だったからだ。
「女の子にお金を払ってセックスするなんて、別にどうってことないのよ。人間がずっとやってきた事なんだから。
良識的な人たちが、売春は悪いと決めつけているのは、女性がいやいやながらやらされていたり、搾取されたり、病気になったりしたからでしょう？でも、悪いのは、搾取や強制、それに衛生と言った、労働環境の問題であって、売春そのものが悪いとは言えないんじゃないからしら？
あたしは、男の身勝手で、売春は悪いと言う事にしてしまったのじゃないか、と疑っているんだけど」
「男が？」いささか突飛に思える意見に、一樹は言った。「でも、売春に反対して来たのは、主に女の側だったじゃないか」
「あれは惰性か、誤った考えを男性に吹き込まれたせいだと思うわ。少なくとも、今の政府はそう。まともな判断と思えない」恵はバッサリと切って捨てた。「そりゃ、２０世紀以前の、男女平等でない時代なら、女性は一方的に搾取されるものだったでしょうけど、現代では、やりたい人がやって何も損する訳じゃないわ。
ああ言う反対運動やるおばさんたちはね、男どもから与えられた昔の道徳にしがみついて、政府や警察の権力増強に利用されているだけなのに、そのことにさっぱり気付いてないのね。本当は、女の自由をみすみす捨てているようなものなのに」
「よくわからないなぁ・・・」
「昔から、男は、自分が浮気しても奥さんの浮気は認めない、と言う身勝手さがあるでしょう？２０世紀中頃までは、日本ですらそれが法律で認められていたのだから、あきれたものだわ。
イスラム教圏では、もっと極端よね。イスラムでは、戒律で、妻は４人まで持って構わない、とされていたでしょう。でも、女は、夫や兄弟以外には顔を見せてもいけない、と言うのね。
勿論、こんな戒律、今では徹底される訳もないけど、そもそもの発想が気に入らないわ。 つまり、イスラム社会では……あ、戦前日本も似たようなものだと思うけど、男は、何人もの女とセックスしても構わないけど、女は、伴侶以外とのセックスを許さない。それを貞操と称した訳。
愚かな女が、男のご機嫌をとる為に、自由に生きる女をふしだらと言い、女を売り物にする娼婦を軽蔑して、自分の貞操とやらをこれ見よがしに誇って来たのよ。何の事はない、男に媚びているだけじゃない」
「でも、ちょっと変じゃないか？その理屈だと、『売春防止法』を作ったのは……」
「勿論、男の理屈ね。もともと、あんな骨抜きの法律もないものだわ。
だって、あれで売春行為を廃絶出来ると思って作ってはいないでしょう？売春を助長する行為には刑事処分もあるけど、売春行為そのものは、禁止されているけど罰するものじゃない。
占領軍から無理難題を押しつけられ、何とか格好にした法律が、今の今まで残っている事がおかしいと思うわ」
「でも、その内容は悪い事じゃないんじゃないか？だって、恵さん、さっき言ったでしょ。『売春そのものが悪いのではなく、搾取や強制がよくない』と。この法律って、正にその搾取と強制を禁じるものだと思うけど」
「外堀だけ埋めて、ね」恵は溜息をついた。「大賀さんが知ってるかどうか判らないけど、本来、娼婦と言うのは軽蔑されるような職業じゃなかったんだから。花魁も然り、洋の東西を問わず、かつて、娼婦の社会的地位は、決して低くはなかったのよ。それを『売春防止法』は破壊したの」
「うーん」
一樹は、考え込んだ。確かに、ダグラス・トランプ紹介のコールガールたちのマナーと教養は一流だった。
そんな女性たちが日陰者である事は、確かに一樹もおかしいと思う。
だからこそ、ダグラス・トランプの要請もあり、法に触れないビジネスを、と自分たちは努力しているのだが、恵のように法律そのものを変えるべき、と言う意見にも確かに耳を傾ける必要はある。
「だからあたしは、『売春防止法』は廃案、とまで言わないけど、改正が必要だと思うわ。売春行為を、ひとつの職業として認め、その上で、法により環境整備を行うべきだと思う。
これ、調べているうちにいろいろ面白い事が出て来てね。知り合いの編集者に持ち込んだら、企画通って、それで１本、書いてみようとしてるのよ」
「そうか」一樹は、納得して頷いた。「大変そうなテーマだけどがんばって」
「うん」
照れたように笑ってから、恵は思い出したように言った。
「そうそう、セックスの出来るエクスロイドの話だけど……何とも言えない不気味さを感じたわ。それで、聞いてみたのだけど」
「そうかなぁ」
一樹は首を傾げた。不気味さ、と言う感覚はちょっと判らない。
「さっき、瓜の話を例えに出したけど、オナニーの補助具としての様々な道具は昔からあるし、その延長線上でしかない、と思うけど」
「“オナニー”じゃなく、“セックス”。あたしは、道具を使ってオナニーするんじゃなく、機械とセックス出来る時代になった、と思って寒気がしたのよ」
恵は、冗談じみた口調で言ったが、表情は未だ仕事モードのままだった。
「そう真剣に考える事はないと思うけどなぁ……いくら人の形そっくりに作ってあったとしても、機械は機械。人になる事は出来ない。それは、エクスロイド技術者なら誰でも思い知ってる。
今風に言うとラブドール……ダッチワイフと言うものも大昔からあるじゃないか。あれと変わらないよ」
「そんなに昔からあるものなの？」
「今のような樹脂製のリアルなものは、３０年くらい前からかな。空気式のものはもっと古いと思うけど。
アイデア自体は、もっと前からあったらしい。日本では、江戸時代に、そんな人形が何体も作られたらしいね。まぁ、モノがモノだけに現存してはいないけれど、浮世草子にはそうした話が幾つか残っている」
「へぇ……」
恵が感心したように言うと、一樹も悪い癖でついつい蘊蓄を披露したくなってしまう。
「人間同様に可愛がられた人形が、持ち主の死後、まるで生きているかのようになり、体温まで宿して、僧侶に供養して貰って人形に戻したとか……ある武士が人形を人間同様に扱っていたら、ある日、呼びかけに返事をしたので、慌てて一刀両断にしたとか……」
「何で斬ったのかしら？それまで、人形を可愛がっていたんでしょう？」
「うーん、やはり返事をする……意志、あるいは魂を持つ存在は人形じゃない、って事なんじゃないかな」
「なるほどねぇ」恵は納得したようだ。「その感じ、判るなぁ……あたしの感じている、不気味さ、それに怯えて斬ったんじゃないかしら。やはり、人形には魂を入れてはいけないものなのよ」
「おいおい、江戸時代ならともかく、この２１世紀の世の中で、人形に魂がこもるなんて事がある訳ないだろう」
「それにしても、現実の人間の女がいくらでもいるのに、何でそんなもの作ろうと思うのかしら？
大人のおもちゃみたいなものなら笑って済ませられるけど、人間そっくりで、しかも動くのよ。不気味に思わないのかしら」
「……」
実際に、それを作って、見て、抱いてもみた一樹にしてみれば、それが意外な程に違和感を感じさせない事を知ってはいるが、さすがに言う訳にはいかない。
「大賀さんは、何とも思わないの？あたしは、嫌な気分になるんだけど」
「ぼくは、何とも思わない」
「やはり、男の人ってそうなのかしら」
恵は溜息をついた。
「それは、違うと思うな。同じ男でも感じ方はそれぞれだと思う。
ぼくが、何とも思わないのは、男だから、と言うよりも、エクスロイドの専門家だからさ。今の技術では、例えセックスの真似事が出来ても、人間の女性の代わりが完全に務められるロボットなんか作れっこない事を知っているから、何とも思わないんだ」
これは自嘲、いや自虐かな、と思いながら一樹は言った。
でも、これは一樹の偽らざる心境だった。
零号機を試験すればする程、目標は遠く果てしなく感じられる。
そして、どんなに美しく作ったとしても、正常な男であれば、エクスロイドを愛する事など出来ないだろう、と思っていた。もし、愛せたとしても、それは物に対する、物欲と同じだろうと思っていた。
こう考える事は、自分の仕事を否定する事になる。
だが、一樹は、その考えをどうしても捨てる事が出来そうになかった。
夏休み明け、一樹は、恵から入手したエクスロイド風俗店の情報を高見沢専務に報告すると、特機２課も独自に調査の動きを取った。
どんな形であれ、エクスロイドを使用した性風俗店が成立するのであれば、そこに何らかの参考になる情報があるのでは、と言う期待があったのだ。
調査は、横田と古池で行う事になり、客として乗り込む事にした。
風俗店は、ウェブサイトまで持っていたから「サイトを見た」と説明すれば、まず警戒される事はないだろう。
問題の風俗店は、新宿・歌舞伎町にあった。
店では、エクスロイドとは言わず、独自開発した「オイロット」と言うセックス・アンドロイドだ、と称していたが、専門家の一樹たちから見れば、それは白々しい言い訳にしかならなかった。
調査の翌日、定例のミーティングで、横田は２課の面々に報告をした。
「やはり、うちの改造エクスロイドでした。改造の程度は、私たちからすれば、幼稚なものですね。体温調整すら出来ないのだから、零号機の方がまだマシです。あれで、果たして経営が成り立つのか、他人事ながら心配になりました」
と、横田は苦笑混じりに報告した。
「やはりな」
「ただ、動きは悪くないんですよ」口惜しそうに横田は言った。「恐らく、プログラマーの腕がいいのか、経験値が豊富なのか、いずれにしてもアレ動かしているのは、ウチの関係者ですね。それは間違いないと思います」
「改造も含め、内部をよく知る人間が噛んでいると考えます」と、中崎。「調べてみたんですが、タイプＭの部品が用途不明で出ています。この辺り、臭いです」
「それも合わせて報告しておこう」と、一樹は言った。「あと、他に気付いた点は？」
「調査をして、考えさせられた事があります。ロボット風俗は、訪問型のコールガール形式より、店舗型の方が適しているのではないでしょうか。
日本では、元々、遊郭と言う店舗形式の売春業が中心でしたし、現在でもソープランドやファッションヘルスなど、店舗型が中心です。
また、エクスロイドの空間認識能力、対応能力からして、客の部屋に送り込む事は問題が多過ぎます」
「確かに」
「そして、この『オイロット』ですが、どうやら空間認識に全方位カメラを使っているようです」
「どうやって？」
「部屋にカメラをつけているんです。天井に全方位カメラがあるのを確認しました」と古池が言った。「それと壁面に集音マイクも確認しました」
「彼らはエクスロイドを大きく変えられないので、人造性器をつけた他は外付にしてるんですよ。
恐らく、制御用のコンピューター……この場合でも、サーバーと言うのでしょうか、それも部屋の外に置いていると思います。場合によっては、人の補助もあるんじゃないか、と。高額な機体ですし、監視も必要でしょうからね」
「なるほど……改造レベルは稚拙でも、制御と運用でカバーか。大したものだな」
一樹は感心したように言った。
恐らく、ホクトを退職したエンジニアの仕業だろう。社外に出れば、思うように出来ない事も多いだろうに、それでも多くの制約条件の中で、アイデアを出し、工夫を凝らし、なんとか実用に持って行ったその努力を、一樹は素直に賞賛したいと思った。そして、同時に負けていられないぞ、と思う。
「システムとしては大いに参考にすべきと考えます」最近、行き詰まりを見せていた横田が、久々にすっきりしたした表情を見せた。「店舗営業にして、部屋と合わせたシステムとする――これで、今、抱えている問題の多くを解決させられます」
「ただ、コールガールと言う形態での営業は出来なくなる、か……」
一樹は考えたが、これは自分が判断出来る事ではなさそうだった。
「営業形態の変更をこちらで決めてしまう訳にはいかない。これは、トランプさんにお伺いを立てないといけないだろうな。横田と古池君は、調査レポートの他、技術レポートもまとめておいてくれ」
エクスロイドを使用した風俗店に関しては、結局、ホクトは表立ってアクションを起こす事はなかった。
万が一の問い合わせに対しては、広報から無関係とのコメントを出し、サービス部門には、サービス部品の供給を厳しく管理させる事にすると共に、中古機の追跡調査を行わせた。これで、拡大を防ぐと共に、既存業者の立ち枯れをさせるつもりだ。
また、エクスロイドを用いたセックスサービスを、コールガール形式から店舗形式にする事については、ダグラス・トランプに問い合わせるまでもなく、大熊社長の決断でＧＯサインが出た。
「まずは、君たちがベストと信じるものを作ってくれればよい」
ダグなら、それを何とか商売に結びつけてくれる筈だと、大熊は信じていた。
悪戦苦闘の日々は相変わらずだったが、対策の糸口が掴めているのとそうでないのでは、精神的に大分違う。
制御系のシステム構築に責任を持つ横田は、方針決定後の表情が随分明るくなったものだ。
実験室に全方位カメラを取り付け、大容量のホストコンピューターを設置。零号機とは高速無線ＬＡＮで接続した。
これで、空間認識能力は格段に向上するはずだった。
零号機は、この状態では端末機として動く事になる。その結果、零号機内蔵のコンピューターの負荷は大幅に減った。処理能力もその分小さくて済むので、次の初号機からはコンピューターの小型化も図る事にした。
コンピューターを小型化し性能も抑えた事で、冷却も楽になり、発汗システムと合わせ冷却性能成立の見込みも立った。さらに、これで救われたのは中崎だった。
口内の潤滑システム構築に苦しんでいた中崎にとって、これは涙が出る程に嬉しい知らせだった。これで、潤滑液タンクと、ポンプの配置に目処が立つのだ。
発汗システムの開発、新型リチウムポリマー電池の採用、零号部品への潤滑システムの反映・・・数多くの仕事も徐々に目処がつき、先取り反映が可能なものは、零号機に反映して評価を繰り返した。
動作プログラムの方も進展を見せていた。
静佳は、シナリオを作ってしまう事を提案したのだ。
要は、客を招き入れてから送り出すまで、シナリオをあらかじめ決めておき、想定される対応も、そのシナリオに沿ったものとする。これで、かなり方向付けが出来る筈だった。 定型化を懸念する一樹に、静佳は言った。
「え。人間だって、デートの時とか、あらかじめシナリオ作って、シミュレーションとかしない？」
言われてみればその通り。
しかも、プロジェクト・ゼロでやろうとしているセックス・サービスともなれば目的が限定されているだけに、シナリオ構築する、と言うのは現実味がありそうだった。
「お客さんには、あらかじめ、希望するシナリオを選択して貰って、その中で楽しんで貰えばいいんじゃないかなぁ。あとは、対応データを蓄積しておけば、２回目以降は、馴染み客として、好みのサービスも提供出来ると思うし」
「飽きないかな？」
「そしたら、女の子代えて貰えばいいんじゃない？」静佳は割り切っているようだった。「男の人って、いろいろな女の人に手を出したがるものでしょう？あまりひとりの人を繰り返しリピートするって事はないんじゃないかなぁ、と思うのだけど」
「うーん」
こう言われると反論材料がない。
説得力もあるので、まずは静佳の言う方向で進む事になった。
プロジェクト・ゼロは、秋口には正式な開発プロジェクトとして上程され、それに合わせて、開発コードの“０”だけでなく、名称も与えられた。
正式名称は、「エクスロイド タイプＳＸ」。
これが、一樹たち、２課が開発するエクスロイドの名称になったのだ。
開発は、遅れ気味ではあったが、年末には試作機の製作にも正式にＧＯサインが出た。
年明けには、いよいよ試作初号機の組立を迎える事になる・・・