Ａｃｔ．３ 船出
会社側の動きは速かった。
休み明けの月曜には、４月１日付けでプロジェクト推進室に特機第２課が新設される事と、一樹が、その課長となる事が内示された。
４月１日には、まだ１週間あったが、ホクトはそれまでのんびりさせてくれるような会社ではない。
上司から内示を受けた一樹は、引継ぎを行いつつ、特機第２課の立ち上げに駆け回る事になった。
構想をまとめ、日程を立て、その前に、場所と人も決めなければならなかった。
場所は、川崎にあるホクトの工場内にある試作工場の最上階に決まった。
そもそも、大部屋体質で、重役ですら執行役員クラスまでは皆と同じ大部屋で机並べて仕事をするホクトで、極秘の仕事を進めようとなると、これはもう、こうして隔離するしかない。
セキュリティの甘いホクトでも、さすがに試作工場は、ＩＤカードとオートロックによる入場制限により秘匿性を確保していた。
実際、秘匿性の高いタイプＳは、従来もこのようにして作業を進めて来たので、試作で仕事をする事に一樹は抵抗はなかった。
期末の棚卸に合わせ、資材倉庫と化していた最上階を片付けて不要物を搬出、間取りを決め、業者を手配して執務室を作り上げる段取りを整える……文字通り、ゼロからのスタートだった。
週末、一樹は、プロジェクト・ゼロの開発チームとなるメンバー決定の為、三崎と共に、候補者の４人を招集した。
「これから、君たちの新しい仕事となる『プロジェクト・ゼロ』を説明する。
念を押しておくが、これは極秘の特命業務。これからの内容は口外禁止だ」
と、いきなり一樹は切り出した。
「これは、正直、難しい仕事だ……いろいろな意味でね。説明を聞いて、無理だと思うのであれば、断ってくれても構わない。例え断っても業績考課に影響ない事は約束する。
その為に、各自、自己紹介の前に構想説明をする。まず聞いて、それで決断してほしい」
と言って、一樹は、一同の顔を見回した。
不安、懸念、疑問……様々な表情が浮かぶ中で、三崎は、「おもしろい事を言う男だな」とでも言いたげな表情を浮かべていた。
一樹は、プロジェクターを操作し、会議室スクリーンにて「プロジェクト・ゼロ」の概要と構想を説明した。
もっとも、この段階では、具体的な内容などないに等しい。
短い説明の後で、一樹は、再度４人の顔を見回した。
４人の中の最年長、横田がまず口火を切った。
「おもしろそうな仕事じゃないですか、いいですよ。やりましょう」
と、３６歳と言う年齢を感じさせない若々しさを持つ横田は、迷いも悩みも感じられない口調で合意した。
横田は、４人の中で唯一の妻帯者だ。もっとも、ひとつ年下の細君とは、かなり冷めた関係にあると言うから、この仕事が問題となる事はないだろう。
エクスロイド制御のベテランで、今回の人事の中でもキーマンと一樹が考える人材だ。
一樹と歳は近いのだが、未だ職能は主事で、管理職ではない事も好都合だった。
このプロジェクトの成否が判らない以上、失敗したら、管理職の一樹が責任を被る。成功したら、横田を管理職に引き上げて、大きくなったチームを率いて貰う。
いずれにしても横田に損はさせない、と言う事を考える辺りが一樹の優しさであり、サラリーマンとしては致命的な欲のなさだった。
「やらせてください」
と、シンプルに、力強く言ったのは、艤装設計の中崎だ。
１８０cmを越える長身、長髪にパーマをかけたボンバーヘアで、日焼けした精悍な顔に無精髭をたくわえた中崎は、エンジニアと言うよりは、スポーツ選手か野武士と言った感じの風貌だ。
見た目よりも歳は若く、まだ２９歳だが、彼は艤装設計のエンジニアとして、エクスロイドの外観を仕上げる事に関してはエキスパートのひとりである。
彼もまた、プロジェクト・ゼロには欠かせない人材だった。
「まぁ……断る理由もないですし」
消極的ながら同意したのは、実験の古池だった。
こちらは、中崎とは対象的に、色白でぽっちゃりした容貌。ベビーフェイスに貫禄をつけようと伸ばした髭が見事なくらいに似合っていない。
年齢は２７歳。実験の中でも現場に精通、機械いじりが好きで、エクスロイドの組立に関しては、専業の試作のスタッフにもひけをとらない、と言う部分も、こうした仕事にはぴったりだ。
「ハセ、お前はどうする？」
最後に１人、回答をしていない長谷川を一樹は急かした。
「えー……」
最年少の長谷川は２４歳。だが、機構設計から特機へ、一樹と共にこの５年間仕事をして来た。最新の３Ｄ ＣＡＤについて行けなくなりつつある一樹の実質的な右腕だった。
「ここまで来たら一蓮托生だ。最後まで付き合え」長谷川の欠点は決断の鈍いところだ。それに付き合っていたら日が暮れる。「いいな？」
「ええ。まぁ」
「よし、決まりだ」一樹は、手を打った。「三崎さん、これで決まり、と、開発人事に連絡入れておいてください」
「わかった。今日中に内示、１日付けで異動通知だな」
「急がせて済みません」
「なぁに、本社で社長にせっつかれるのは俺だからな」と、三崎は笑った。「このくらいのペースで進めていかないと」
開発チームは５人。
だが、一樹にとって、このくらいが思うように動かせる範囲だった。しかも、顔見知り、知った仲でないと思うように出来ない。それが、こうした小規模プロジェクトを渡り歩いて来た一樹の限界でもあった。
「週明け、引継ぎが終わり次第、新職場に来てくれ……って言っても、まだ職場の形をなしてないけどな」一樹は苦笑した。「チームは今日出来た。来週からは職場を作る。ゼロからのスタートだ、仕事はいくらでもある。忙しくなるぞ」
期が明けて４月になった。
一樹の特機第２課は、正式に立ち上がりはしたものの、未だ執務スペースは工事中。仕事の引継ぎもあって、なかなか本格始動とは行かない。
勿論、一樹もそれは承知で、その間を利用して、現地調査を行う事にしていた。
どうせ、開発が本格的に始動してしまえば、この少人数のチームでは、抜けるに抜けられない状況になるのが見えている、だからこそ、今のうちだ、と一樹は考えた。
三崎がダグラス・トランプと折衝、チームメンバーが順に渡米し、実際に高級コールガールによるサービスを受けたのだ。
これは、強烈な体験だった。
年齢の割に性体験の少ない一樹は勿論、妻帯者の横田までもが、未だかつてない体験に打ちのめされ、ショックを受けた。
確かに、ダグが一樹たちに紹介したのは、とびっきりの高級コールガールで、１時間で＄１０００は持って行く女性たちだ。
一晩はべらせれば一樹ですら１ヶ月分の収入が飛ぶ。会社が負担してくれなければ、平凡な勤め人には一生縁のない存在だが、それにしても、こんな世界があるのか、こんな事があるのか、と、メンバーの誰もが目から鱗の落ちる思いだった。
そして、それを自分たちが作らなければならない、と思い当たり、その壁の高さにあらためて嘆息した。
それが、自分たちの「仕事」であった。
１００インチの３Ｄ大型スクリーンに、二十歳過ぎの美しい女性の裸身が浮かんでいた。
「彼女だ」
と、一樹は、４人の部下を見回しながら言った。
プロジェクト・ゼロとして、一樹は、まず、プロト機を作る事にした。
まず作る――それがホクトだったし、エクスロイドとのセックスがどのようなものになるか、体験してみない事には何とも言えない。
そう考え、執務室の体裁が整うのももどかしく、一樹はプロト製作を進める事にしたのだ。
執務室は試作工場の最上階の現場に設けられた。
パーテーションで部屋を作り、事務机を並べた執務スペースと、ＣＡＤ端末を並べたＯＡスペース、エクスロイドの組立・整備が出来る作業台に会議室と、一通りの環境を整えた。
特徴的なのは、「実験室」とされた部屋で、ホテルのダブルルームを模した部屋が作られた。ここで、完成した試作機をテストする事になる。
一応、１０人ほどのチームとなる事を想定し、１０個の事務机が並べられたスペースに５人だから、今はかなり閑散としているが、これは仕事を始めれば変わってくるだろう。
また、一樹は、事務机脇に大型スクリーンを設置、自席についたままでミーティングが出来るようにした。
この少人数だから、情報共有化の為にも、打ち合わせは全員参加でやった方がいいだろう、との考えだ。
そうして設けられたスクリーンを使い、一樹は４人の部下にプロト製作に向けての話を始めていた。
プロト製作と言っても、さしあたって、既存のエクスロイドをベースに、必要な機能を追加していく以外の手法は考えられない。一樹は、ごく当たり前の手順で、製作を進めることにした。
まずは、モデルを選ばなくてはならない。
出来るだけ一般受けのする、若い美女を選ぶのは当然だ。
一樹は、ホクトが外形データを所有している日本人女性の中から条件に合いそうな数百をピックアップ、そこから絞り込んで行った。
エクスロイドの場合、俳優や歌手をそっくりそのままコピーする事はあまりないのだが、画家や彫刻家がモデルを必要とするように、造形にはその叩き台となるいろいろなタイプの人物データを保管しておく必要があり、ホクトの情報センターでは、様々な人種、年齢の男女から外形使用権を買い取り、保管していた。
選考の基準は、一樹の主観だけだった。性的な相手にし易い感じの、でも決して下品ではなく……と一樹が選び出したのが、今、スクリーンに映っている彩名いずみだった。
彩名いずみは、先日引退したグラビアアイドル出身の女優だった。
瓜実顔の整った顔立ちに、黒目がちの瞳、肉感的な唇……申し分のない美人だ。
身体の方も、日本人女性には珍しい、しっかりの肉厚のある長身のグラマー体型。胸が張り、豊かな腰からすらりとした脚が長く伸びた、いいスタイルをしていた。
「彩名いずみ、データ取得時は２２歳か。身長１６５cm、バスト８８cm、ウエスト５９cm、ヒップ９０cm、が発表値だけど、うちのデータだと、バスト９０cm、ウエスト６３cm、ヒップ９２cmだな。体重も５５kgある」
「こんな美人とつき合うチャンスなどないでしょうから、文句を言う筋合いはありませんよ」
と、中崎が素っ気なく言ったが、その視線はスクリーンに釘付けだ。
「欲を言えば、もう少し小柄な方がいいんですけどね」と言ったのは横田だ。「ＡＶでも１６０cm以下の方が見栄えもすると言われますし、取り回しもいいんですが……」
横田の好みは、小柄で細く、その割に胸の大きな、いわゆる”アニメ体型”だ。
「却下する」と、一樹は切り捨てた。「普通のエクスロイドに比べ、これは詰め込むものが増えるんだ。内容積を稼ぐ意味でもこのくらい大柄な方がいい。ハード屋としては小さいボディで苦労するのは願い下げだ。しないで済む苦労なら、ない方がいいよなぁ、ハセ？」
「――デカいです」一樹の代わりに３Ｄ−ＣＡＤ「ＭＧ」を操作している長谷川は言った。「デカいし、重い。つぶされちゃいます」
長谷川は身長１６２cmしかない。大柄な女性に対しては、物言いが厳しくなる。
「身体を鍛えろ。それと、ツブされたくなかったら、軽量化するんだな。構造設計はお前に任せるぞ」
同意を求めたのにすかされた一樹は、苦笑し、冗談混じりに言った。
実際、性の好みは人の本能に基づくから、千差万別だ。万人が認める理想の存在などある訳がない。いくらベクトル合わせをした所で仕方がないのだ。だからこそ、一樹は、己の主観だけで、独断でモデルを決めたのだった。
「何でもいいから、早く完成させてくださいよ」と、古池。「完成したら、実験は任せてください」
「まぁ、慌てるな。次は肝心な部分だ。実は、彼女、肝心な所を型取りしていないんだ」 確かに、スクリーン上の彩名いずみの股間は、まるで下着に覆われたかのように、つるりとしていた。
そこまでは必要ないだろう、との事で下着の上から型取りしたのだ。女優や歌手などにはありがちな事だった。
「中崎君、データを」
長谷川に代わってＭＧ席に着いた中崎が、自分のライブラリからデータを読み出す。
データは、女性器を含む、女性の陰部のものだった。
「うちのライブラリの中から、体格と年齢の近い女性の性器を選びました」
「これはどこから？」
と、横田が興味を示した。
「タイプＭ（医療用）用のデータです。さすがに数が少なくて……」
長谷川は、慣れた手つきで、女性器のデータを彩名いずみのデータに重ねた。勿論、別人のデータなので、接続部は一致しないのだが、ＭＧが、データを“溶け込ませ”、一体化する。同時に、肌の色や質感も統一され、数秒後には、見事な女性の全裸像が完成した。
「ちょっと動かしてみようか」
長谷川が操作パネルの入力デバイスを動かすと、一糸まとわぬ美しい女性の立像がゆっくりと回転した。
「タイプＡじゃないのだから、このままでいいんじゃないでしょうか。却って、作為を加えない方がその気になれます」
と横田が言った。
「同感です」中崎も言った。「あとは表皮のブラッシュアップだけでいいんじゃないですかね」
「ピーゼロは、自然な方がいいんじゃないですか？」
「おれもそう思う」一樹は頷いた。「外形は特にいじらない方がよさそうだ」
そう言いながら、プロジェクト・ゼロ――面倒なので、２課では“ピーゼロ”と呼び始めていた――は案外モノになるかも、と言う予感がした。
何故かと言うと、ステージモデルのエクスロイド・タイプＡの場合、こうしてモデルを決めてからが、型起こしするまで、かなりの手間がかかるのだ。
タイプＡの場合、単なる人間のコピーではなく、ステージで演じるキャラクターとしてデザイナーに作り込まれた存在になるからだ。
勿論、芝居の内容によって、あるいはイベント・コンパニオンのようなケースでは作為は少なくなるが、それでもステージ映えする事は必要だし、コストも抑えなくてはならないから、省ける所は省き、最小のコストで「らしく」見せる技術が必要になる。
そうして、オリジナルのデータを、コンピューター内で手を加えていくのだが、これがかなりの手間なのだ。
ところが、人間の女そのものではくてはならないプロジェクト・ゼロの場合、この手数を省略出来る、あるいは省略した方がよい結果になる、と言う事は、作業工数、詰まる所、コストの引き下げに効いてくる。
一樹は、スクリーン内でゆっくり回転している全裸の美女をしげしげと見つめた。
固く張った乳房、娘々したピンクの上を向いた乳首、悩ましい曲線を描く腰と、丸く豊かでありながら軽く引き上げられたようなヒップと、長く美しい脚。申し分のない、見事な女体だった。
エクスロイドのエンジニアとして、今更珍しくはない眺めで、一樹自身、今までに幾度もこのような作業をしている。通常、いくら美しい女体でも、あくまでこれから加工する”素材”でしかない。いわば、美術教室のモデルの裸婦のようなものだ。
また、通常は衣服に隠される部分の仕上げは省略してしまうし、性器ともなれば医療用のタイプＭ――しかも、産婦人科・泌尿科用――でもない限りは作らないので、ほぼ目にする事はない。
しかし、今回は全身を徹底したリアリズムで仕上げなければならないので、同じ裸像でも見る目が違う。
しかも、完成したらセックスをする事になるのだ。
これが、この先、抱く事になる身体か……と見てしまうと、何となく妙な気分になる。
「え……と」必要以上に長い時間見つめていた気がして、一樹は言葉に詰まりながらも指示を出した。「ハセ、骨格に異常はないか？左右のアンバランスがあると面倒な事になる」
「そ、そうですね」
長谷川も、何となくうろたえた様な声を出した。
「あ……ちょっと待ってください」操作をして、方眼パターンを重ねてみる。「ああ、彼女、いいですよ。左右バランス、問題ないですね」
スポーツ選手などにありがちなのだが、利き腕側が発達していて、左右の骨格がアンバランスな場合があるのだ。テニスプレイヤーなど、肩幅や腕やの長さまで違う事がある。
そうなると、骨格から特注になってしまうし、その後の制御にも支障を来すので、そうした傾向がないか、と確認したのだ。
「あと、ちょっとすがめ気味かな？正面向けてくれ」
一樹の好みで、頬がふっくらとした、年齢よりやや幼く見える感のあるいずみの顔がスクリーンにアップになる。
「すがめ……と言うより、ちょっと寄り目なんじゃないですかね」と中崎。「あ、でも、確かに左右差あるかな」
「まぁ、それも個性か」
一樹は、彩名いずみの主演映画を思い出していた。寄り目気味の目を潤ませ、眉を寄せて切なげに恋人を見つめる表情を思い出す。あれにはぐっと来たものだ。
「恐らく、アイカメラの誤差を発生させる事まではないと思います。このままでもいいと思いますが、問題あるようなら左右差だけ修正しておきますよ」
「うん、そうしよう」
一樹は頷いた。
「じゃ、これを共有ライブラリに入れます」
と、長谷川が言った。ファイルしようとする長谷川を、一樹は止めた。
「ひとつ思い出した。名前を変えよう」と一樹は言った。「“す”に点々の“いずみ”じゃなく、“つ”に点々の“いづみ”にしてくれ」
「はい……でも、何でですか？」
「俺たちの仕事は、決して清らかなものじゃない。むしろ、前途多難な船出なんだ。だからこそ、未知の大海に出る、その決意を持って、“出海”と言う名前にする」
「ロマンチストですねぇ……」
と、横田は笑い、感心したようにも、呆れたようにも取れる口調で言った。
「そのくらいの思い入れがなきゃ、こんな仕事やってられるか」
「しかし、こんな仕事に回して貰えるなんで、男冥利に尽きますね」
と、古池は言った。
「男冥利か、地獄の苦しみか、やってみなくちゃ判らないさ」
「いや、きれいな女の子相手なら、何をやっても男冥利ですよ」
「女を甘く見るもんじゃない」
と、珍しく横田が説教じみた口振りで言った。
「女は、男とは別の生き物なんだ。つきあい方、一つ間違えるとえらい事になる。それは、一緒に暮らしてみると判るさ。
今度の仕事だって、例え機械でも女の格好しているんだから、一筋縄じゃいかないぞ。俺は、九割の確率で地獄の苦しみの方に賭ける……もっとも、女相手に地獄の苦しみを味わう事こそ、男冥利に尽きるとも言うけどね」
設計が始まった。
モデルが決まり、とりあえずの物作りの方向が決まった事で勢いがついた。
検討とレビューを繰り返し、時には、議論が白熱して深夜にまで及ぶ事もあった。
しかし、まずはプロト機製作。モノ作りが優先だ。
社長からは６月には形にしろ、と言われたが、それはさすがに苦しい。
それでも、６月になる頃には、プロジェクト・ゼロの執務室に続々と部品が到着し始めた。
秘匿性の意味もあり、主要構造部品の組立まではここで古池が行い、表皮を被せ、仕上げる部分は、中崎が立ち会って試作工場で行う事になった。
やがて、異様な感じのする骸骨が、作業台の上で組み上げられて行った。
何も知らない人が、いきなりこれを見せられたら、不気味さにぎょっとする事請け合いのシロモノだった。
それは、ただの骸骨と言うより、内臓の詰まった骸骨、いや、人間の皮と肉を剥がした姿に似ていると言っていいだろう。
これが、肉付けをする前のエクスロイドなのだ。
産業ロボットなどの一般的なロボットと異なり、エクスロイドは、人間の外観と動作をコピーするのが目的の、アンドロイド・・・いわば人造人間だ。
一般的な応力外皮構造と異なり、骨格は、人間と同様の配置になっているし、駆動もモーターアクチュエーターではなく、イオン導電性高分子ゲルを利用した人工筋肉が用いられ、人間の筋肉と同様の位置に配置される。
勿論、内臓がある訳ではないが、複雑な形状の様々の機器類の間を、各種配線がのたくっている所は、さながら人体模型のようだ。
「な、やっぱり、彼女にして正解だったろ」
と、一樹は組み上げた骨格を見ながら言った。
腰の張ったいづみの体型だと、骨盤の幅が広く、標準タイプの股関節のボールジョイントに手を加えずに、新たに追加する事になるゼロ号部品――人工膣――を収める事が出来そうだった。
「しかし……ハセ、結局、大腿骨はチタニウム削り出しかよ」
「ええ、金属素材の方が後加工の自由度も大きいし、削り出しなら型いらないですから」
長谷川のもうひとつの欠点が、この重厚長大な、「石橋を叩いて壊して渡らない」類の設計思想だった。
もっとも、手際のいい反面、せっかちな性分もあって充分な検討抜きで仕事を進めてしまう傾向のある一樹の相棒としては、それはそれで得難い個性なのだが。
「ピーゼロは跳んだり撥ねたりする訳じゃない。入力条件は楽になる筈なんだから、せめてアルミにしておけよ。軽く作れ、と言っておいたろうが」
プロジェクト・ゼロの性交用エクスロイドに高度な運動性は不要、と言うのは一樹の設計思想だった。
その為、各部の人工筋肉使用量は減らして、出力も抑えているのだが、脚部は微妙だった。確かに高度な運動性は不要だが、直立２足歩行と言うのは微妙なバランスの賜だ。その制御を考えると無理も出来ず、検討期間が短かったせいもあって、脚部の設計は、ほぼ通常のエクスロイド相当になっていた。
「ゼロ号部品はいつ入る？」
「今日明日にでも来るはずです」と、中崎は申し訳なさそうに言った。「でも、潤滑システムは反映間に合いませんでした」
「まぁ、仕方ないさ」
現在、組立はゼロ号部品待ちだった。ゼロ号部品を組み付ければ、腹部の組立と配線が出来る。そうすれば、あとは人工筋肉を装着して、試作で外皮を被せて貰えば完成だ。
簡単に考えていた人工性器のゼロ号部品だが、三稜化学は思った以上に苦戦。納期を引き延ばした挙げ句に、自動潤滑システムは間に合わない、と音を上げて来た。
こちらとしても、社長に完成を急がれている以上、あまり日程を引っ張る訳にもいかず、まずは、潤滑システムなしの暫定品を搭載して完成を急ぐ事になった。まぁ、こうした事はプロト製作ではままある事だ。
頭部は、まだ人工筋肉が取り付けられておらず、高靱性セラミックスとエンジニアリングプラスティック製の骨格が剥き出しだった。
こうして表皮のないエクスロイドを見る時、一樹は、いつも“Ｂｅａｕｔｙ ｉｓ ｂｕｔ ｓｋｉｎ−ｄｅｅｐ”と言う英語の諺を思い出す。日本には、これに相当する適当な諺がないのだが、要するに、美人と言っても表面だけ、と言う意味で、背後には、容貌の美醜に心を動かされるのは愚かなことだと言う説教が含まれているのだろう。
そんな事をわざわざ聞かされなくとも、エクスロイド技術者は、嫌でもこの諺の正しさを痛感させられている。全く同じ骨格でも、肉付け次第で、絶世の美女にも、奇怪な容貌になったりもするのだ。
と言っても、エクスロイド技術者が、人間の容貌ごときに心を動かされない境地に達している訳でもない。人間、そうは簡単に悟れはしないのだ。
目についても似たような問題がある。「目は心の窓」などと言い、目を見れば人間性が判る、と言うが、本当は目そのものはあまり重要ではない。同じ眼球をつけていても、やはり肉付け次第で善良そうな顔にも、凶悪な目つきにもなるからだ。これも、実際に人間が主な情報源としているのは、眼球ではなく、眼裂の方だと言う事がエクスロイド技術者には判っている。
口には綺麗な歯が並んでいるが、口腔は、標準のエクスロイドのままとなる予定だ。
当面、キスは出来ない。
予想された通り、口腔と唇、舌には苦労させられそうだった。
「まぁ、なんとか格好にはなって来たか」と、ざっと全体を見渡してから一樹は言った。「とにかく早く完成させないと社長がうるさいからなぁ」
「こんなに急いでいるのにですか」
と、古池は心外そうに言った。４月に２課が発足したものの、執務室の準備やら何やらで時間を取られ、本格的に実務スタートしてから、わずか２ヶ月でここまで来たのだから、無理もない。
「こっちはたった２ヶ月でここまで出来た、と思っても、社長は、こんな事に２ヶ月もかかった、と思っているさ」
エクスロイドは、非常に複雑なメカニズムと、電子装置の集合体だ。しかも、未だ、生産台数は、年間３０００機にも届かない、手作りと量産の間にある機械なのだ。
家電製品や自動車のように、メカニズムも確立し、量産のノウハウもある機械とは違うのだ。
もっとも、その中でも、千差万別の注文に対応する為、各部要素部品はモジュール化され、組み合わせにより様々なニーズに対応出来るようにはなっている。
それ故、組み合わせで対応出来る部分は、素早く動けるのだが、今回のように新規の開発ともなると、やはり、時間がかかるのはやむを得ない所だった。
その翌日、中崎宛の荷物が届いた。
待ちに待った、ゼロ号部品の到着だった。
荷物を受け取ったのは一樹だった。
特機２課は、５人と言う小さな所帯だし、執務室も、他の課から離れているので、部の庶務担当がカバーするにも限界がある。その為、課内の雑用は、今の所、一樹が時間を割いて処理をしていた。
荷物を受け取った中崎は、一樹に声をかけた。早速、箱を開ける。
「大賀さん、ゼロ号部品です。見てください」
「ほう・・・どれどれ」
緩衝材に埋まったビニール袋から取り出されたそれは、バイオフォームで精巧に作り上げられた女性器だった。
２課の面々も興味深げに見ている。
「綺麗に出来ている・・・」
何種類ものバイオフォームを組み合わせ、外陰部から膣に相当する部分が一体成型してあった。これが、骨盤の中に作った空間に納まるのだ。
一樹は、両手に持ってしげしげと眺めた。
正に、初々しいと言う他にないほど、それは清らかに見えた。データの提供者は、２１歳で、処女だったと言う。
その性器が型取りされて、こうして部品になって幾人もの男がしげしげと眺めている。 これをデータ提供者が知ったら、どう思うかな、と一樹はふと思った。
膣に相当する円筒状の部分からは、何本もの配線が伸びていた。これは、人工筋肉や、センサー、発熱膜への配線である。まだ幾つかの機器が取り付きそうなボスがそのままになっていたが、これは本来あるべき潤滑システムを取り付ける部分なのだろう。
「あれ、肛門もあるんだ」
と、横田がめざとく気付いた。
「はい」
「そっちも使えるの？」
単刀直入な横田の質問に中崎は苦笑した。
「ええ、一応、内部も作ってありますが、形だけですね。肛門括約筋もつけてないので、当面は使わないでください」
「二兎追う者は一兎も得ず、さ。まずは、膣が使いものになると判ってから、って事だな」
と一樹はまとめた。
「しかし……オナホールですよね、これじゃ」
オナホールとは、男性の自慰用の模造女性器だ。ゼロ号部品は、確かにそのオナホールにそっくりだったし、今の所、機能も大差はない。
「まぁな」
一樹は頷いた。中崎はあまりの言い様に少々、プライドの傷ついた顔をする。
人の心理に疎く、時として人を傷つけてしまう軽薄な物言いは、横田の悪い所だ。こうした所は、直してやらないといけないな、と一樹は思う。
「……試してみますか？」
と、悪戯っぽく横田は言った。
「馬鹿言え。１００万円の部品だぞ」三稜からの納品証を見ながら一樹は言った。「無理して壊したらどうするんだ。代わりもないんだ」
一樹は、古池を呼んで、ゼロ号部品を渡した。
「早速、組み込んでくれ。これが入れば、腹部の組立が進むだろう」
これで、最後の部品が揃った。
いよいよ組立である。