| ＰＡＲＴ ２６ クラッシュ | |
ＶＦＲランディングアプローチ。
深雪は「隼」の脚を下ろす。
無事に下りるかどうか、ちょっと心配だったが、エスコートしてくれているエディに見て貰った所、何ともないようだったので、深雪はひとまずほっとした。
既に紫色に変色している左腕は、もう殆ど動かせない。しかし、まだ血を通してやる時間ではなかった。気が張っているせいか、痛みはそれ程感じない。ただ、左半身が血でぬめっているのが気持ち悪い。
燃料は、タンクにまだかなり残っている。引火性の強いガソリンを積んでいるだけに、着陸時の事故は火災を併発する可能性が高い。ミスは出来なかった。深雪は慎重にアプローチに入る。
エディが、星野和正が、天城が、飛燕が――心配して見守る多くの視線の中で、深雪はいつものように正確な３点姿勢で接地した。
その時、予期せぬハプニングが発生した。
「隼」の尾輪のダウンロックがかかっていなかったのだ。
接地のショックで尾輪は引っ込み、「隼」はモロに尻餅をついた。「隼」の胴体下端まで伸ばされたラダーが地面に擦り付けられて吹っ飛ぶ。
いつもならいざ知らず、今の深雪に暴れる機体を抑え込む事は難しかった。
慌てて踏み付けたブレーキが強過きて、「隼」はつんのめった。プロペラが滑走路を齧って砕け飛ぶ。「隼」は、その反力でコントロールを失ったまま、左へ大きく向きを変え、滑走路の縁石に脚をとられて、もんどりうってひっくり返った。
待機していた消防車と救急車がサイレンをけたたましく鳴らしながら出動する。飛行場はにわかに騒然とし始めた。
天城は、星野と共に雑用車のダットサントラックに飛び乗ると、一目散に現場へと向かう。タイヤを鳴らして急発進するダットラの荷台に数人のメカニックが際どいタイミングで転がり込んで来る。
無茶だぞ、とは天城も思った。が、その気持ちは充分、理解出来た。
（みんな、こんなに心配しているんだ・・・だから、頼むから無事でいてくれっ！）
内心、叫ぶようにして祈りながら、天城はアクセルを踏んだ。
西と河原はエプロンから「隼」の事故を目撃した。
西は、咄嵯に２００mmのズームで、嘉手納の広大さに苛立ちながらもそのシーンをフィルムに収めた。
消防車と救急車が出動するのに気付いて、西のカメラマンの血が騒いだ。
西は、使い込んだ標準レンズ付きのニコンＦ３に、フィルムが装填されているのを確認すると、それだけを残して、他のカメラとカメラケースを河原に押し付ける。
「なんだよ？」
と、訊く河原に、
「こんな所からじっとして見ていられるかよ！」
と、言い残して走り出す。
制止するオフィシャルを振り切って、西は、タキシーウェイに出て、現場に急行する消防車を待ち受ける。そして、コーナーでスビードを落とした所を逃がさずに飛び乗った。
その行動力と、シャッターチャンスを逃さないカメラマン根性には、河原も感心するより他にない。
〈本当、ヌードカメラマンにしておくのは勿体ないぜ）
正直、河原はそう思った。
深雪は逆さになったコックピットから、それこそ懸命になって自力で這い出した。
それも当然だった。まだタンク内にはガソリンか残っている。もし火がついたら、機体と共に丸焼けになる。さすがの深雪も、まだ「隼」と心中する気はなかった。
基地消防隊の消肪車が現場に到着したのは丁度その時だった。
血の滴るコックピット。殆ど全身血塗れで地に這う深雪。
こう言う場面には慣れている消防隊員も、思わず表情を歪めた。深雪が華奢な体格の少女だけに、血塗れになったその姿は無惨以外の何物でもない。
西は夢中になってシャッターを切った。
深雪は震える脚でよろめきながらも立ち上がった。
火災に備えて「隼」に放水銃を向ける消防隊員に向い、深雪は、静かに言う。
「放水はやめて下さい。機体が駄目になりますから」
その、到底怪我をしているとは思えない程の落ち着いた物腰に、深雪の気迫が表れていた。消防隊員は、その気迫に呑まれたかのように放水銃を下ろす。
宙に脚を突き出し、不様に腹を見せて転がっている「隼」を、深雪はゆっくりと振り返った。
その背中が傷ついて横たわる機体ヘの謝罪と憐憫の気持ちを、何よりも雄弁に物語る。
そこヘ、ワンテンポ遅れて到着した救急車から飛び出した救急隊員が駆け寄る。
「――君っ、怪我は!?」
「この位・・・大丈夫です」
深雪の答えに救急隊員は絶句した。――半身を血に染める程の出血である。普通ならそれだけでショック症状を起こしても不思議はない。それを自分から大丈夫と言ってのけるのは、かなり気が張っている証拠だろう。
「とにかく、手当てを」
担架を用意する救急隊員に、深雪は言う。
「済みません・・・担架はいいです。歩けますから」
ＨＡＲＴのダットラが現場についたのは丁度その時だった。ダットラを飛び降り、我先にと深雪の元へと駆けつけてくるメカニック達。そして、星野と天城の姿を自にして、深雪の表情に漸くほっとした色が浮かんだ。
「ごめんなさい。機体を壊しちゃって・・・」そこまで言って、深雪は力尽きた。がくりと膝をつく。「・・・あ」
身体がまるで言う事を聞かない。気力で持たせていた身体が緊張が解けた事で一気に崩れたのだ。
救急隊員が慌てて用意し直した担架の上に深雪は横たえられた。もう深雪には強がってみせるだけの気力もない。
急ぎ救急車へと運ばれていく深雪の、何かを訴えかけるような視線に気付き、天城は深雪の傍に駆け寄った。
「天城さん・・・お願い」と、深雪はかすれた声で小さく言った。「私を・・・私に、もう１度飛べるチャンスを下さい」
天城は、半ば訳の判らぬままに頷いて見せるのが清一杯だった。
何か言おうとした天城にその間も与えられずに、深雪は救急車に担ぎ込まれた。深雪を収容した救急車は、慌ただしく走り去る。
後には、呆然として立ち尽くす天城が残された。
西も、気の抜けたような表情で事故現場に立ち尽くしていた。
ＨＡＲＴのメカニックには、我に返れば「隼」の回収作業が待っていた。しかし、あっと言う間にフィルムを使い果たした西には何もすべき事がない。
どうしようかな、と西は思い、ちょっと迷った末に、まだぼんやりとしている天城に声をかける。
「あの、すいません」
「え・・・はい」
天城は、はっとして我に返った。
「ついでて構わないんですが、ピットの方に戻る時、乗せていって貰えませんか？」
と、西は天城に頼み込んだ。
西の首から下がったカメラを見て、天城は不快さを抑えられなかった。
先程、星野に言われたように、自分達は見られる立場の人間だ、と言う事は判ったつもりだった。が――
（深雪ちゃんが血塗れになっているのを、こいつは助けようともしないで写真を撮っていたんだ）
と思うと、天城は、自分の感情が怒りに変わっていくのを抑えられなかった。それでも天城は辛うじて、生の感情を西にぶつける事だけは、避けた。
「・・・あんたさ、どんな気持ちで写真が撮れるんだよ」
ぎりぎりの所で感情を抑え込み、絞り出すようにして言った天城に、西は返す言葉がなかった。
深雪の怪我の様子を知る為に、救急ステーションに行っていた真樹子の顔色が悪い。
「マキ、あんたどうしたん？」
と、ケリーが真樹子を気遣って訊いた。
「事故ったフォッカーのエステンハーゲンを見ちまってな」
と、真樹子の替わりに、翔が答えた。
「・・・ひどかったの？」
「脚が、なかった」
「ま・・・あれじゃね。脱出出来ただけでもラッキー、って感じだったし、命があっただけでもよし、と言う所か」と、ケリーは平然として言い放った。「――マキ、あんた、この位で顔色変えるんだったら、レースなんかやめちゃいなよ」
「え？」
「７００km/hでね、地面に叩きつけられたら、それこそ、まともな死体はのこらないんだよ。死と背中含わせのこの世界でさ、事故の度におたおたしていたんじゃ、この先、やってらんないよ」
真樹子は言葉を失った。
「違いない」翔は苦笑に近い表情で頷いた。「でも、承知はしていても、いざ目の当たりにすると、ビビるモノはあるよな、普通」
「あ、あたし、それ左腕と一緒に空に捨てて来た」
「お前は普通じゃないんだって」と、翔は言い、それから、ふと気付いたように言う。「・・・そう言や、飛燕は？」
予選第１ヒート、工藤は自己ベストの１４分５０秒９１と言うラップタイムを叩き出した。
エステンハーゲンの事故で、過半数のパイロットがタイムアタックを断念した、この第１ヒートで、事故を目前にしながらもタイムアタックを続けたその態度には、当然、賛否両論が集まる事になる。
「――５０秒９１だって？」
パドックで、マネージャーからラップタイムを教えられた工藤は、少し不満そうな表情をした。――ひょっとしたらコースレコードか、と思ったんだけど、やはり、あれがタイムロスになったか、と考える工藤である。
「工藤さん、このコースで、３番手につけられるタイムですよ」
と、工藤を取り巻いたジャーナリスト達が言わずもながな事を言う。
「ええ」工藤は営業用の笑顔でそれに応えた。内心は、面白く思っていない。「東の第６コーナーでしたっけ、あそこで星野が無茶な突っ込みをかけてこなければ、もっといいタイムが出せたんですけどね」
「ああ、あの、フォッカーの事故の時、よく巻き込まれずに切り抜けられましたね」
「ラッキー、としか言い様がないですけど」
と、工藤は控え目に語ったが、自分だからかわせた、と、自信満々に思っている事は、その表情からして明らかだった。
「・・・でも、あれも星野が無茶をしたからでしょう。でなきゃ、エステンハーゲンだって、落ちはしなかった、と思いますよ――」
と、工藤がジャーナリスト達に言うのを、飛燕はそのジャーナリスト達の輪の外で聞いた。苦虫を噛み潰したような表情である。
（――ったく、工藤の馬鹿が！）
と、飛燕は思う。今、この場でひっぱたいてやりたくなったが、さすがにそれだけは自制する。
工藤がジャーナリスト達の輪から抜け出し、テントハウスに消えるのを飛燕は待った。ジャーナリスト達が散っていってから、飛燕はマクダルダグラスのテントハウスヘ足を踏み入れた。
普通なら咎められて当然の所だったが、飛燕の態度が堂々としていただけに、中にいたマグダネルのマネージャーも、誰かのお客さんかな、と誤解をした。この辺は、飛燕の気迫勝ち、と言う所であろう。
「何か御用ですか？」
と、訊くマネージャーに、飛燕はすまして言った。
「工藤さんを、お願いします」
程無く、工藤が顔が姿を現わした。意外そうな顔をする工藤に、飛燕は開口一番、有無を言わせない強い口調で言う。
「――あんたに、訊きたい事がある」
「僕に？」工藤は首を傾げた。「何ですか？」
「先刻、外であんたが喋っていた事、あれ、本気なの？」
「先刻の・・・って？」
工藤には飛燕の言わんとする事が理解出来なかった。
「深雪ちゃん――星野の事よ。先刻、あんた言ってたでしょ、星野の無茶な突っ込みが事故の原因だってさ。あれ、本気でそう思っているの？」
「ああ」工藤は漸く話を呑み込み、頷いた。「勿論、その通りだと思っているよ」
飛燕は腹を立てるよりも、まず呆れた。溜息をひとつつき、髪を掻き上げる。
「・・・ったく、あそこまでやって判って貰えないんじや、あの子も報われないね」
「何だって？」
工藤は僅かに表情を変え、訊いた。
「お前、その目は節穴かよ！」と、突き刺すような激しさをもって、飛燕は工藤に言葉を叩きつけた。「翼を軋ませてるフォッカーをアオりまくって、事故に追い込んだのはあんただろ。それを、深雪ちゃんのせいにするなんて、ひど過ぎるじゃない。
大体、あそこであの子が割り込んでくれなかったら、あんた、巻き込まれて落ちてたんだよ」
「え・・・星野が？」
飛燕の言葉の鋭さが工藤の胸を撃った。まるで、殴られでもしたような表情になる。
「やっと判った？――そう言う事よ」
と、言って自分の用は済んだ、とばかりに立ち去ろうとする飛燕を、工藤は慌てて呼び止める。
「ちょっと、待った。星野は・・・星野さんは、どうなったんだ？知ってるんだろ、教えろ・・・いや、教えて下さい」
工藤の表情は、いつの間にか真剣なものになっていた。それに気付き、飛燕は少しほっとしながらも、態度を和らげ、教えてやる事にする。
「あの事故で、かなりの怪我をしたって話よ。その上、着陸をミスしてね。病院に運ばれて行ったけど・・・具合がどうなのかは、まだあたしも知らない」
工藤は、何か言いたそうな表情をしたが、感情をぐっと抑え、考え込むような素振りを見せつつ、ただ頷いた。
飛燕が去った後、工藤はふらふらとした足取りでテントハウスの外へと、出た。そのまま、特にあても無く歩き出す。
どうしたらいいんだろう・・・と、工藤は真剣に悩んでいた。
深雪が自分の事をそれ程までに想っていたのか、と言う事が工藤にとってショックだった。その気持ちにどうやって応えたらいいのだろうか、と、真剣に悩む工藤である。
いい加減なように見えても、それなりに相手の事を思いやる優しさと誠実さが、工藤の美点である。そうでなければ、いくらハンサムでも女はついてこない。
その優しさが、工藤の神経を苛んだ。
悩みながら歩き続け、工藤は、いつのまにかピットの「震電」の前にいた。
背の高い「震電」に立てかけられたタラップを登り、工藤はコックピットに取り付く。
ふと気がついて、工藤はウィンドシールドに点々とついた、赤茶色のしみを爪先で擦るようにした。
それは、既に乾いており、工藤の爪先で呆気なく砕けて剥がれ落ちた。
オイルなどではなかった。――血だ。
深雪が、工藤の事を想いつつ、空に撒き散らした血のしずくだった。
その事実が、深雪の真撃さを工藤に伝え、その胸を締め付ける。
（・・・俺は取返しのつかない事をしてしまった〉
工藤は唇を噛んだ。
「どうだ、いい写真は撮れたか？」
と、訊く河原に、西は黙って頷いた。
「？」西の沈んだ表情に気付き、河原は訝るような表情をした。「何か、あったのか？」
「・・・ＨＡＲＴのメカニックに、言われたよ」と、やりきれなさを湛えた表情で、西は言った。「どんな気持ちで写真が撮れるんだよ、ってさ」
「ああ」河原は納得した。同情するような表情をする。「俺にも似たような経験があるよ。――ジャーナリストなんてのはさ、所詮はプロの弥次馬だからな。そんな批判を受けるのは避けられない」
「――自分でも、自分が嫌になったよ・・・目の前に血だらけの女の子がいるってのに、俺、何も出来なかった」
「それでも、お前はシャッターを切った。そうだろ？」
と、河原は念を押すように訊いた。
「ああ」
「そんな時にさ、カメラを放り出さずにシャッターを切れるのが、一流のカメラマンなんだろうな」
河原の言葉に、西は、えっ？とでも言うように顔を上げた。
「ただし、そんな時に、特ダネをフイにしてでもカメラを放り出す奴も、カメラマンとしては三流だけど、それはそれで立派だと思う・・・だからさ、どっちがいいか、なんて、俺には判断出来ないし、する資格もない――多分、お前を非難出来るジャーナリストなんていやしないさ」
西は、複雑な表情で頷いた。報道カメラマンとしての経験のない西にとっては、河原の言う事は、まだ理屈でしか判らない部分があった。
「――なんにせよ、特ダネをモノにはしたんだろ、もっと嬉しそうな顔をしろよ」
河原は、西の気の迷いを吹き飛ばしてやろうとして、努めて陽気に言った。
「そうだな・・・」呟くように言って、西はそれでも意志の力で笑顔を作った。「・・・フィルム、発送して来るよ――折角、撮った写真だ。他の奴等を目一杯悔しがらせてやるさ」
傷ついた「隼」を、何とかピットに回収し、機体をチーフ・メカニッグのサム・ハワードに任せて、星野は天城と共に、深雪の収容された米空軍病院に駆け付けた。
「――どうなんですか？深雪の・・・娘の具合は？」
不安で、心配で堪らない表情を隠す余裕もなく訊く星野に、対応した医師は落ち着いて答える。
「お嬢さんの事なら、心配ありません。大丈夫ですよ。ただ――」
「ただ・・・何です？」
「怪我自体は大した事はなかったんですが、出血が少しばかり多かったので、輸血の必要があるのです。ところが、血液がちょっと・・・」
「足りないんですか？」
「残念ながら。一緒に担ぎ込まれた片足切断の患者に優先して血液を回してしまったもので・・・Ｂ型は不足気味なのです」と、医師は少し表情を曇らせた。「出来たら、親族の方に血液を提供して頂きたいのてすが」
状況は判った。いくら何でも、片足切断の重症を負ったエステンハーゲンの分の血液を寄越せ、とは言えない。
しかし、星野は娘に血液を別けてやる事が出来なかった。なぜなら、血液型が違ったから。
「――天城。悪いが、戻って誰かＢ型の人間がいないか、調べて来てくれ。出来れば、ＭＡＣとＡＡＲＣの人達にも協力を御願いしてくれ」
Ｂ型の人問なんて、そうそういやしないぞ、と内心舌打ちしながらも、天城は頷いた。駆け出そうとする所へ、
「僕はＢ型だ。僕の血を彼女にやってくれ」
と、声がして、天城と、そして星野は振り向いた。
声は工藤隼人のものだった。
「工藤君、何故、君が・・・？」
訝るように尋ねた星野に、工藤は、この男にしては珍しい程に飾らない口調で答える。
「あの事故を僕が無事に切り抜けられたのも、深雪さんのおかげですから。どうぞ、構わずに血を採って下さい」
あの子には、取返しのつかない事をしちまったから・・・こんな事で償いになるとは工藤自身思ってもいなかったが、今はただ、深雪の為に出来るだけの事をしてやりたい、と謙虚に思う工藤だった。
工藤と、そして天城が掻き集めたＢ型の血液保持者数人からの輸血を受けて、深雪の様態は快方へと向かった。
「・・・もう大丈夫だそうですよ」と、天城は星野を安心させるように言った。「先刻先生が言ってました。麻酔が切れれば意識も戻るだろう、って」
「そうか」
星野は力無く額いた。その横顔が、何故か一度に老けこんでしまったように感じられて天城は少し痛々しいものを感じた。
「それじゃ、僕はピットに戻ります」
「ピットに？」
星野は怪訝そうな顔をした。
「深雪さんに、言われたんです。もう一度、飛べるチャンスをくれ、って」
「――もう一度、飛ぶ、だって？」星野は漸く我に返った。「お前、正気かっ？予選はあと２日しかない。明後日の朝までに飛べるようになっていなきゃ、予選通過は無理なんだぞ。正味、１日半。出来るのか？」
「出来る、出来ないの問題じゃないんです。やるか、やらないかが問題なんです」と、天城は気迫も露にして言い切った。「深雪さんが諦めようとしない以上、僕達はやるしかない。やるとなったら、ベストを尽くす――どこか、間違ってますか？」
天城の言っている事は、既に理屈ではない。が、天城をしてそう言わしめる、その熱い想いは、弱気になっていた星野の心を揺さ振るのに充分だった。
「・・・判った。お前に任せる」
「はいっ」
勢いよく答え、足早にピットに向かう天城の背中を見詰めながら、星野は改めて自分が年老いた事を悟った。
昔はこんな風ではなかった。そう。昔は・・・
――あれから、何年が過ぎたのだろう。コンバットエアレースの生れた頃から。
誰もが難しいと言った、コンバットエアレースそのもの。そして、大戦機のレストア。
それは、大戦中のＷａｒ・Ｂｉｒｄを、新たに作り上げると言った作業にエスカレートしていく。
無理だ。出来る訳がない――そんな批判が集中したが、ヘでもなかった。
空を愛し、飛ぶ事を愛する者として、戦火の中で、大空に散っていった者達への鎮魂歌を奏でるような気持ちで不可能に挑んだ。
それは、死昔を蘇らせるに等しい暴挙であったかもしれない。
だが、Ｗａｒ・Ｂｉｒｄｓは蘇った。
まるで、己を焼き尽くす業火の中より羽ばたく不死鳥のように。
そして、その猛禽としての本能のままに、コンバットエアレースと言う格好の舞台を得て、戦う。
そう。俺達は不死鳥（フェニックス）だ。
そう信じてこの世界を生きて来た星野ではあったが、ここに至って、自分が老いた事を感じさせられずにはいられなかった。
俺達の時代は終わった。
これからは、彼等が、不死烏の伝説を作って行くんだ・・・と、天城の言葉に、もう少しで、無理だ、と言ってしまいそうになった自分を恥じながらも、星野は思った。
（俺も、もう年だよ・・・飛鳥よ、お前もそうか？）