| ＰＡＲＴ ２５ 予選 | |
一夜明けて、公式予選当日。
３日間に渡って行われる公式予選の、第１日目である。
沖縄南方海上の東シナ海に台風が接近して来ており、その影響で風が少し強い。
（・・・嫌だな、この風）
愛機「隼」の前で、深雪はそう思った。
軽量の「隼」は風に弱い。風に煽られるのを抑える為に、燃科を少し多目に入れようかな、とも考える。
咋日のあの事は思い出したくない。深雪は、今日の予選の事だけに神経を集中させた。
その事が、深雪をいつも以上に無口に、そして無表情にさせる。
「やあ、おはよう」
と、そんな深雪に陽気な声がかけられた。
深雪はゆっくりと振り返り、半ば上の空と言う感じで、小さく挨拶を返す――こう言う仕草が、深雪を誤解させる原因になる事がある。こんな反応を、おっとりした、と見てくれればいいが、トロい、と見る人もいる、と言う事だ。
声をかけて来たのは、ＮＡＳＡのエディ・ブラックだった。咋シーズンの全米チャンピオンシップにて、２１歳の若さで見事Ｃ２チャンプの座を仕留めたパイロットである。
その特徴は、成績が抜群に安定している事だ。事実、チャンプとなった昨シーズンでも優勝回数はたったの１回に過ぎないのだが、２位・４回、３位・２回と、コンスタントに上位入賞を果たしている。とにかく、最後まで飛べば必ず表彰台と言うのは、並の腕前ではない。
「今日の予選、第１ヒートの第１組で一緒だね。よろしく」
と、エディは言った。無邪気な少年のような、思わず釣り込まれそうな笑顔を見せる。深雪も、思わず微笑した。
――エディは、深雪に好意を抱いていた。尤も、そうでもなければ、いくら、お人好して知られるエディでも、予選当日にライバルチームのパイロットに挨拶をしに行ったりはしない。
深雪の控え目だが清楚な美貌が、エディを魅了したのは勿論だが、それ以上にエディの心を捉えたのは、深雪の計算され尽くしたとさえ言える完全な飛行ぶりだった。が、エディは深雪の意外とさえ感じられるタフネスさをまだ知らない。
エディは「隼」に歩み寄った。コックピットの下に書き込まれているネームレターを指差して、訊く。
「・・・これ、”カンジ”だよね――名前？」
深雪はネームレターに漢字とローマ字の両方を入れていた。エディの指差しているのは、その漢字で入れたネームレターの方だ。深雪は頷いた。
「”カンジ”って、確か象形文字で、１文宇ごとに意味があるって聞いたコトがあるけど・・・これ、どう言う意味になるのかな？」
「・・・私の、名前の意味？」
「うん」
深雪は少し考えた。――が、この時の深雪は、精神状況が少しおかしくなっていた。深雪は最も悪い意味を口にする事にした。
「――ホワイト・デヴィル」
「”白い悪魔”・・・？」
さすがにエディは、ぎょっとした顔で深雪を見た。
ひとひらの雪片は、はかなくもろい存在でしかない。が、それが深く降り積もった時、雪は全てを押し潰す、無慈悲な白い悪魔と化す。深雪は、自分の名前にそんな意味合いを重ねて表現した。
深雪は、エディの反応に薄く嗤うような表情をした。深雪に惚れているエディにすら、不気味さを感じさせるような表情である。
そして、恐らく嫌われるだろう、と思いながらも、言う。
「――白い悪魔・・・それが、私よ」
公式予選は、コースを１周するタイムで競われる。
飛行は２機ずつ組になって行われ、５秒間隔で、４組が飛ぶ。これが１ヒートで、１日に８回、行われる。
予選は３日間に渡って行われ、２５機が決勝へと進出する事が出来る。
エントリー数は３８際。およそ、３機に１機がふるい落とされる事になる勘定だ。
予選第１ヒート。
第１組は、ＨＡＲＴ、深雪の「隼」と、ＮＡＳＡ、エディ・ブラックのＰ−５１。
第２組は、マクダネルダグラス、工藤隼人の「震電」。そして、フォッカーのモンスターマシン、Ｄ２３を駈るヨハン・エステンハーゲン。
第３組、ＡＡＲＣのサード・パイロット、トニー・アレンのシーフューリーと、プライベーターのルーキー、フレック・パターソンのＰ−５１。
第４組、フィアットＧ５５に乗るイタリアン、ニコラ・スカルツォーネと、ロールスロイスのエース、アニー・バートンのスピットファイア１４。
８機のレーサーが舞い上がり、オフィシャルの指示に従って、２機ずつ、それぞれのポジションをとる。
そして。
予選第１ヒートが、その激闘の幕を開ける。
すうっ、と、ゆっくり、かつ滑らかに、深雪は「隼」を旋回させ、コースヘ。エディはその「隼」の後へ続く。
深雪の飛びっぷりをたっぷりと見せて貰う為に、後についたエディは、予想通りに、無駄無く、洗練された深雪の飛行に改めて感嘆する。が、そののんびりぶりには、さすがに疑問を覚えた。
が。
コースインの３秒前。
深雪は、それこそ爆発的な速さで「隼」を加速。あっと言う間にスピードを乗せてコース・イン。
〈え・・・？）
深雪の速さに息を呑みながら、エディはスロットルを押し込み、Ｐ−５１を全力で加速させる。
しかし、蒸気表面冷却法により主翼外板にて放熱を行う事でラジエーターを廃止した事を始め、徹底した空力性能の追求によって高性能を得たのが特徴のＮＡＳＡチームのＰ−５１である。空力性能に頼り、余剰推力を切り詰めた事が、加速力、特に瞬発力に響いた。 「隼」に追従出来ない。
バルーンが迫る。
漸くスピードを乗せて追い付いて来たエディを深雪は突っ込みで再び振り切る。
インサイドのバルーンー杯に突っ込み、急減速。そして、蝶が舞うが如く、ひらりと機を翻し、次の瞬間には、コーナー出口に向けてすっ飛んでいく。
（さすが・・・凄い！）
エディはにこりとする。――そうでなくっちゃ、と思う。幸運にも深雪さんと一緒になったこのヒート、勝負を捨てても深雪さんの飛び方を自分のものにするんだ、とエディは決めていた。
一方の深雪は、このヒート、工藤をマークする事にしていた。――何の底意もない、ただ単にあの人のそばにいたい、との想いから出た行動ではあったが、それすらも織密な計算に基づいて実行する辺りは、性と言う他にない。
（トップスピードが違うんだから、Ｃ．Ｓのストレートで捕まる。それまでに、少しでもタイムを稼いでおかないと――）
――東Ｔ．Ｓで追いつけない。と、深雪は考えていた。
Ｃ．Ｓのストレートに踊り出る。
全長およそ３０km。
気の遠くなるような、長いストレート。全速で飛んでも２分以上はかかる。そこで、モノを言うのは、エンジンのパワーと、ただひたすらにスロットルを開け続けられるズ太い神経だ。
（・・・後ろのＰ−５１、何で、抜きにかからないんだろ？）
と、深雪は疑問を覚えた――あの、２番・・・ＮＡＳＡのＰ−５１なら、最高速度はかなり伸びる筈だ。何故、前に出ようとしないのか。――トラブルか。それとも、私をマークしているのかな？・・・まあ、ルーキーなんだし、情報収集される可能性はあるかな、と深雪は自分なりに納得をした。まさか、エディが自分に好意を抱いているから、などとは想像もしていない。
速度、７３５km/h。深雪はエンジンをレッドゾーン一杯まで引っ張る。尤も、この程度の速度、トップクラスのＣ１レーサーなら、スロットルのひと押しで軽く出してしまうのだから、その事を考えると、「隼」の性能は少々不甲斐ない。
ストレートも後半に差し掛かる頃、深雪は「隼」のバックミラーに小さな機影を見付けた。それは、見る見る膨れ上がる。
〈工藤さん？――いや、違う！）
ヨハン・エステンハーゲンのフォッカーＤ．２３だ。双発双胴、しかも、２つのエンジンを短い中央胴の前後にコックピットを挟む格好で積み込む異様な機体が迫り、抜いていく。
かなりの速度差だった。７８０km/hは出しているだろう。
（速い・・・！）
―――確かに速い。が、速過ぎる、とまで感じた者が、この時、果たして深雪の他にもいただろうか。
その直後、今度は工藤の「震電」が、鮮やかに２機をパスしていく。が、その時には長いストレートも終点が近付き、迫る名護湾のコーナーに備えての急減速を強いられる事になる。
深雪は突っ込みで工藤の背後に迫る。正直な所、ブレーキングをぎりぎりまて我慢すれば、工藤の前に出る事も出来なくはなかったが、深雪は敢えてそこ迄はやらなかった。
「――先頭は、４番、フォッカーのエステンハーゲン。続いて７番、工藤、第１組の星野とブラックは遅れました。２機に続いて、今、東テクニカルステージに入ります」
実況を伝える場内有線ＴＶを、翔はＭＡＣのテントハンスで見ていた。
嘉手納飛行場をベースとして、沖縄西方海上にて行われるレースの詳細を観客に伝える為に、レース開催期間中、様々なメディアが活躍する。
その主役となるのは、やはり臨時放送局で、その数は、ラジオがＡＭ１局とＦＭ３局、ＴＶはＵＨＦとＶＨＦが各１局、基地内のみの有線ＴＶ放送局は３局にも及んだ。
翔が見ているのは、そのうちの主催者側が提供している有線放送のもので、空撮機まで使った密着ぶりは最も見応えがあった。又、これは、エプロンの大型スクリーンに映し出しているのも同じ内容でもある。
いつの間にか翔の知合いのレーサーの溜まり場と化してしまったかのようなＭＡＣのテントハウスには、翔と真樹子の他に、飛燕とケリー、スティーブの姿があった。
「深雪ちゃん、飛ばしているな」
と真樹子。
「ああ」翔は頷いた。「いいペースだな」
――しかし、工藤と一緒と言うのが飛燕にとっては気掛かりだった。昨日、あれだけのショックを受けていた深雪だけに、ひょんな事からコンセントレーションを乱さないとも限らない。
・・・何も起こらなきゃいいけど、と、ちょっと嫌な予感を覚えながら、飛燕は祈るように思った。
あのフォッカー、速過ぎる。
東Ｔ．Ｓに入って、深雪の感じた疑問は確信に変わった。
速過ぎる。どう考えてもパワーが機体を上回っている。――よく、あんなのを検査通したものね、と深雪は少々呆れつつ思った。
このまま、あんなペースで飛ばしていたら危ない、と深雪は判断した。
実際、リードをとられ、ムキになってアオりまくる工藤のせいで、エステンハーゲンはそれこそ必死になってペースを上げていた。そのＤ．２３ときたら、Ｇのかかる度に機体が軋むのが、見ていてはっきりと判るのだから、深雪の心配も当然だった。
しかし、参加レーサーでしかない深雪が、エステンハーゲンにタイムアタックを中断するように勧告する事は出来ない。
深雪は一応、コントロールを通じオーガナイザーに対してエステンハーゲンのＤ．２３の機体強度に疑問がある、とアピールはした。が、それはどう考えても手遅れだ。既に予選のタイムアタックに入っている機体を止められるものではない。
尤も、実の所、深雪はエステンハーゲンの事など、余り気にしていない。――機体の強度不足は技術者のせいだ。が、それに気付かないパイロットも悪い。と、深雪は思う。
だから、たとえそれが原因となってクラッシュしたとしても、深雪には同情するつもりはない。
が、それに工藤が巻き込まれては大変だ、と言うのが深雪の本心だった。
尤も、先刻の深雪の理屈を延長すると、一緒に飛んでいる機体の強度不足に気付かない工藤にも非がある、と言う事になるが、深雪はその事には目をつぶっていた。いくら理詰めの深雪と言えども、感情を優先させる時はある。
焦りながらも、深雪は工藤の「震電」をピタリとマークする。ストレートでは振るわなかった「隼」も、テクニカルステージに入って本領発揮、と言う所だ。
その頃、エディもＤ．２３の異常に気付いていた。深雪と較べてしまえば遅いのだが、それでも限界飛行を要求される予選中に３機前を行く機体の異常に気付く辺りは、やはり只者ではない。
エディが思ったのは、こんなに接近して飛んでいて大丈夫なのだろうか、と言う事だった――深雪さんも、当然気付いてはいるだろう。でも、何でこんなにくっついて――深雪の気持ち迄はエディも読み取れず、その行動が理解出来ない。
（深雪さんには、伊江のターンで追いつけばいい）
エディは念の為、少しペースを落とし、深雪との距離をとった。
ＨＡＲＴのテントハウスで有線放送のＴＶ中継で予選を見守っていた天城が、Ｄ．２３の異常に気付いたのもこの頃である。
天城は、念の為、星野に意見を求めようとしたが、星野が押しかけて来た数人のジャーナリストに囲まれているのでやめた。替わりにメカニックのジョージ・ハリスを呼んで意見を聞いてみる。
それは、突然に起こった。
工藤に追われ、焦ったエステンハーゲンが、ブレーキのタイミングを誤ったのが、その発端だった。
エステンハーゲンは明らかなオーバースピードにて左コーナーに進入。Ｄ．２３はＧに耐え切れず、エステンハーゲンの狙ったラインの外側へと、孕んだ。工藤は、それをチャンス、と見て「震電」の鼻先を、空いたインに突っ込もうとした。
その事を知ったエステンハーゲンは、急な舵をとって工藤の頭を抑えようとする。オーバースピード。急な舵。限界を越えるＧが、Ｄ．２３の機体を軋ませる。
（空中分解するっ！）
それに気付いたのは、ひょっとしたら深雪が誰よりも早かったかもしれない。
深雪は、エステンハーゲンのインヘ工藤が突っ込むと同時に、コースアウトを承知で、Ｄ．２３と「震電」の間に「隼」を割り込ませるべくダッシュをかけていた。
深雪の計算では、その割り込みで工藤はエステンハーゲンから離れ、深雪自身はコース外へ逃げられる筈だった。その後、エステンハーゲンがどうなろうと、深雪の知った事ではない。
一見、無謀に見えた深雪の突っ込みを工藤は危うく――工藤さんならかわせる筈、と信じて突っ込んだ深雪だったが――かわして、悪態をつく。
「・・・馬鹿野郎っ!!」
深雪は素早く切り返し、Ｄ．２３の外側へ出る――
その瞬間、限界を超えてしまったＤ．２３の右翼が千切れ飛んだ。
右翼を失ったＤ．２３は一瞬、水平に戻り、そして、コントロールを失ってフラットスピンに陥った。
エステンハーゲンは、スピンする機体から奇跡的に脱出。その一瞬後、Ｄ．２３は海面に叩きつけられ、大きな水煙が上がった。Ｄ．２３は海面上でバラバラに砕けて、海に消える。
深雪は、辛うじてＤ．２３のクラッシュに巻き込まれる事だけは避けたものの、そのままコースアウト。
その直後を飛んでいた工藤は、Ｄ．２３の翼がもげた時にこそ、ひやっとしたが、丁度深雪の「隼」の影となる事で無事で済んだ。ふらふら飛んでいる深雪を一瞥しただけで抜き去ると、タイムアタックを継続した。ウィンドシールドに何か、点々と赤茶色のしみがついていたが気にしない。
「――メーデー、メーデー。東テクニカルステージ、第６コーナーで事故発生。４番が墜落した。パイロットは脱出に成功したが、負傷している模様。操り返す。パイロットは脱出したが、負傷している模様」
エディはタイムアタックを中断し、事故現場に留まって状況をコントロールに連絡する。温厚なエディだが、同事もなかったかのようにタイムアタックを継続する工藤の身勝手さには少々立腹した。
エステンハーゲンは何処か怪我をしているようで、ぐったりした様子で波に揺られている。気の毒だが、エディにはどうする事も出来ない。
それよりも、深雪の飛び方がおかしい事の方が、エディには気掛りだった。コースを外れ、ふらふらと飛んでいる深雪の「隼」の後を追う。
深雪は、焼けつくような痛みの中にいた。
右翼を失い、きりもみに入るＤ．２３の傍らを通過する際に、Ｄ．２３の被片が「隼」のコックピットを直撃したのだった。
破片はキャノピーを砕き、キャノピーフレームを捻じ曲げ、深雪の左腕を切り裂いた。深雪は、さらにキャノピーの破片で額と腕を傷つけられた。
一番の深傷は左上腕だ。動脈を切ったらしく、吹き出す鮮血が、白いフライトスーツを真紅に染め上げる。
深雪はスロットルを戻し、スティックをロックして両手を自由にすると、傷の手当てに取りかかった。絹のマフラーを襟元から抜き、歯で裂いて左の肩口を縛り、ボールペンを突っ込んで締め上げ、止血をする。
これで出血は止まったが、この暑さでは組織が壊死するのも早い。３０分に１度は血を通してやらないと腕が腐り落ちる。
左腕は痛いのを通り越し、止血のせいもあって痺れたようになって半ば感覚がなく、思うように動かない。深雪は右腕１本で、ゆっくりと「隼」を旋回させ、飛行場へと機首を向ける。
そこヘ、漸くエディのＰ−５１が接近して来た。
キャノピーの破損した、血塗れのコックピットの中の深雪を見て、エディは顔色を変えた。が、それでも冷静に考えた上で、ベストと思われる処置を実行する辺りは、これも性格だろう。
「――嘉手納コントロール、こちらは２番、ブラック。先程の４番の事故で、３８番のパイロットが負傷した。操り返す。３８番のパイロットが負傷。今から、３８番をエスコートしてそちらに向かう。滑走路を確保の上、救急車の手配を頼む」
と、エディはコントロールにひとまず連絡を入れ、更に「隼」に接近、同時に深雪に声をかける。
「星野さん。星野さん！」
「え・・・あ」呼び掛けに気付いた深雪は、相手を確認する余裕もなく、一番気掛りだった事を訊く。「――工藤さんは？工藤さんは大丈夫ですか？」
それで、エディには判ってしまった。深雪の想いを。深雪が誰の事を一番大切に想っているかを。
「・・・工藤は無事だよ」エディは、やるせない感情を胸に押し込んで深雪の問いに答えた。「そのまま、タイムアタック続けている」
「――そう」深雪はちょっと失望したかのように、それでも明らかにほっとした声で呟く。「・・・よかった」
「星野さん――」
大丈夫ですか？と、訊こうとしてエディは言葉を春んだ。これだけの大出血で、堪えていない筈がない。エディは改めて言葉を選んだ。
「・・・操縦、出来ますか？」
「大丈夫。この位なら」
思っていたよりしっかりした答えが返って来て、エディはむしろ戸惑った。
「でも・・・あの」
「この位の傷・・・」深雪は自分に言い聞かせるように呟き、彼女にしては珍しく、強がりを口にした。「こんなの、かすり傷よ」
事故発生。
その情報に、星野和正は、ぴくりと反応を示した。
更に、深雪が負傷しているのを知ると、さすがに顔色を変えた。その表情は、明らかに子を思う親の表情であり、いつもの、クールなＨＡＲＴ監督のものではなかった。
その星野に、居合わせたジャーナリストのひとりが、無遠慮な質問をぶつける。
「――星野さん、お嬢さんが事故に巻き込まれて、さぞかし心配な事とは思いますが・・・どうか、今の心境をお聞かせ下さい」
「あんた、何考えてんだよ！」怒りを爆発させたのは、傍でそれを聞いていた天城だった。「人ひとり、生きるか死ぬか、って時に！」
「天城、黙れ」
星野は鋭く天城を制した。
天城は、はっとして、自分が出過ぎた事を言った事に気付いた。――今、一番辛いのは星野なのだ。自分の出る幕ではない。
「あ・・・すいません」
「いいか、天城」星野は、ゆっくりと言い聞かせるように言った。「俺達は、見られる立場の人間だ。それを商売にしている以上、喰いものにされる覚悟位はしておけ。たとえ、それが己れの生死でもな」
この言葉、勿論、星野の本心ではない。星野としては、先程のジャーナリストヘの当て付けのつもりだった。尤も、その効果は疑問だ。この言葉を、皮肉と受け取れるだけの感性があれば、そもそも先程のような質問をする訳がない。
「――失礼」星野は咳払いをひとつすると、意識的に感情を抑え込んだ静かな口調で言う。「・・・そうだな――今は、パイロットが、なんとか無事に機体を持ち帰って来てくれるのを期待するしかない。事故に巻き込まれたのでは、パイロットを責めようもないしな」
「あの・・・お嬢さんが心配じゃないんですか？」
取材される側のヒューマニズムなど頭っから無視してくるジャーナリストが振り回す安っぽいヒューマニズムには、毎度の事ながらうんざりさせられる。
「私はＨＡＲＴの監督だ」
――面白くない事があると、妙にひねくれて見せるのは、星野父娘に共通した特徴らしい。星野はいつになく意固地になっていた。
「さあ、質問には答えたろ。これから、忙しくなるからお引取り願おうか」
星野はぴしゃりと言って、まだ何か言いたそうなジャーナリスト達を追い返した。
「――星野さん」
切り出す言葉に迷いながらも、天城が口を開いたが、星野は、それには構わずに呟くように言った。
「・・・こんな事位、あいつを空に上げた時から覚悟していたさ」
天城に、もう言うべき言葉は見つからなかった。言葉に詰まり、沈黙する。
星野は、僅かに見せた弱気を振り払うと、いつもの、ＨＡＲＴ監督としてのクールな表情を取り戻した。
「――さて、と。邪魔者はいなくなったし・・・忙しくなるぞ。サム、ピットの準備だ。ジョージはトラクターを手配、万が一の事を考えて、機体の回収準備を整えておけ。天城、一緒に来い。深雪を迎えに行く」
「深雪ちゃん、大丈夫かな」
ＴＶモニターの前で、真樹子が心配そうに言った。
「問題は着陸の時だな・・・」と、翔も深雪の事を案じた。「怪我でつまらないミスをしなきゃいいんだが」
そんな会話を聞きながら、飛燕は、何か堪えているような表情になっていた。
（あの子が、ここ迄やるとは思わなかったな）
深雪の腕からすれば、あんな事故に巻き込まれるなんて考えられない。深雪は、身体を張って工藤を庇ったのだ。工藤の為に、自分か何を出来るのかを考えて――その、深雪のひたむきさと、想いの深さが飛燕の心を捉えた。
それにしても、工藤には腹が立つ。そんな深雪に知らん顔でタイムアタックを続けている、その態度が気に喰わなかった。
（あいつ、どうしてやろうか）
ここはひとつ、深雪の為に一働きしてあげようじゃない、と、飛燕は考えを定める。――飛燕のお節介の虫が、また、疼き始めた。