ＰＡＲＴ ２２ コンバット
「よお、翔。元気だったか」
声に振り向くと、髭に囲まれた顔が笑っていた。
「リチャード！」
翔が去年までいたチーム「ＺＥＲＯ」のチーフメカニック、リチャード・アリスンだった。
「どうだ、Ｃ１は？」
「まあ、頑張ってる。この調子ならいい所まで行けそうだよ」
「そりゃあよかった」と、リチャードは笑顔で頷いた。「――今年のＣ２はさっぱりさ。実力のあるやつがいねーんだ」
確かに、翔を始め、ハンナ・レイチェル、エディ・ブラックなどのトップレーサーは勿論、グレン・ロビンズ、トニー・アレン、ケリー・バレットと言う中堅クラスまでが、ごっそりとＣ１に移ってしまったのだから、リチャードの嘆きも尤もな事と言えるだろう。
「・・・ってな訳でさ、ここへ来たのはスカウトが目的だよ。誰か、使えそうな奴がいねぇかな、と思ってさ」
「俺はやらないよ」
と、翔は前もって釘を刺した。が、
「年間通しては駄目でもスポットで乗らないか？――来月のＣ２世界選手権、お前が飛んでくれるなら、今からでも機を用意するぜ。零戦で出るんだ、三菱も文句はないだろう」
と、言われると心が動く。
「・・・考えておくよ」翔は気のある返事をした。「――で、他に目に留まったパイロットがいたかな？」
「先刻、あの、何て言ったかな、三菱の双発機を飛ばしてた女の子・・・あの子、お前のコ・パイだろ？」
「うん」翔は頷いた。「また、変なトコに目をつけたな」
「彼女が気に入った。まだ、Ｃ１任せられる程の腕じゃないとは思うけど、Ｃ２なら充分に通用する」
「そうかなぁ・・・Ｃ２にはＣ２の難しさがある」
と、翔は危ぶんだ。
「去年までとは違うさ。実力のある奴がいないんだ。勝負になるよ」
「・・・かもしれないな」リチャードの言葉に、翔は納得した。「話をしとくよ。どうするかは、あいつの問題だけどね」
「それで充分さ。ありがとう」リチャードは礼を言った。「後はコンバットだな。彼女がどんな戦いをするか、楽しみに見てるよ」
ルーキーテスト第２課題のコンバットを控え、真樹子の緊張は高まっていた。
タイムトライアルについては何とかなるだろ、位に考えて気楽に構えていた真樹子もコンバットにはまるで自信がない。
食事もろくに喉を通らずに、のしかかるプレッシャーに自分を見失い、落ち着きをなくした真樹子を、翔は苦い思いで見守った。
翔自身、プレッシャーに弱い性格だけに、真樹子の心境を察して同情をする。どうにかしてやらなきゃ、と、強く感じるものの、（どうにか出来るモンなら、自分に対してとうにやってるよな）
と、言う事に気付いて翔は内心苦笑した。
エプロン上に標的機がスタンバイしたのは昼過ぎになってからだ。
標的機とは言え、３０機が、ずらりと機首を揃えて勢揃いするとさすがに迫力がある。これから、この３０機全てと刃を交えなければならないルーキーにとってはプレッシャーを感じさせられずにはいられない光景だった。
両翼を黄色に塗り、ゼッケンの代わりに標的機である事を示す”Ｔ”の文字を黒で書き入れた機体は、Ｐ−５１がそのおよそ１／３を占める。他にはＦ８Ｆ、Ｆ４Ｕ、Ｐ−３８と、やはりレーサーとしてもポピュラーな存在の機体が多い。
珍しい機体としては、川西「紫電改」、ホーカー・ハリケーン、カーチスＰ−４０等があり、ＭＡＣもキー８３（２号機）を標的機として出場させていた。
テストの順番は、トーマス、深雪、フレック、真樹子、そして、ラストが飛燕だ。
テスト開始３０分前。
３０機の標的機が、一斉にエンジンをスタート。ウォーミングアップを行う。
レーサーのように限界性能を追求するのではなく、どちらかと言うと使い易さに重きを置いた標的機は、レーサーに較べれば、チューニングの度合いの低いエンジンを積んでいる。
が、それでも、いずれも２０００馬力は軽く出ているヘビー級航空レシプロエンジンである。エンジンの響きは、轟然として辺りを覆い、プロペラは小さな暴風を巻き起こす。
充分にウォーミングアップを行った後、黄金色に輝く派手な「ムスタング」のレイモンド機が動き出す。
その後に続いて、標的機が１機、２機とタキシング。そして、離陸する。
離陸した標的機は、コンバットステージに向い、高度１万ftにて空中待機。やがて飛び込んでくるであろうルーキーを待って爪を研ぐ。
最初にコンバットステージに上ったのは、トーマス・クライン。
３０００ftの高度をとって進入したトーマスに、標的機が襲いかかる。太陽を背負い、急角度でダイブしてアタック。
トーマスは上昇旋回にて辛うじてこれをかわす。９０度旋回。そこヘ、もう１機がアタック。が、この標的機は隆下角度が浅く、スピードも乗っていなかったので、トーマスは易々とそのアタックをかわし、逆に後方へ占位、追撃をかける。
が、これがトラップだった。
２０秒が経過、３機目の標的機がコンバットに参入。トーマスの背後を狙う。
目前の標的機を追う事に夢中になっていたトーマスは、この標的機に気付かない。トーマスが、あっと思った時にはダメージを喰わされていた。
機体もパイロットの質もレーサーに較べたら劣る標的機だが、老練なレイモンドが指揮するだけにその戦法は巧妙だった。
トーマスはダメージを与えられて焦った。が、ヒットのとれないうちに２０秒が経過。これで、４対１。
ここで、乱戦になればやりやすい、と開き直るだけの図太さがあればいい。だが、トーマスは更に焦り、身体を熱くした。これでは自滅するだけである。
２度、３度とダメージを与えられて、トーマスの焦りは増々大きくなり、自失の度合いを増していった。いつもなら楽勝の相手にすら回り込まれ、ダメージを喰わされる。これが、ルーキーテストの怖い所だった。
最後の標的機がコンバットステージに入る頃、トーマスは既に自分を見失い、抜け出しようのない泥沼の底に沈み込んでいた。
コックピットの中で、トーマスはひとり泣いていたのだろうか。機体が時折、不安定に揺れた。
結果は、ヒットポイント０．５に対し、ダメージ１９。弁解のしようのない惨敗で、当然、不合格だった。
続いては、深雪の番だ。
「今度の相手は、魔法使いの娘だ。ルーキーとは言え、先刻のような訳にはいかんぞ。しめてかかれよ」
と、レイモンドは、テスト開始前に標的機全機に念を押した。
深雪は高度、僅か５００ftでゆっくりとコンバットステージに入る。
（低いな）
とレイモンドは訝った。
戦闘機にとってスピードは命だ。そして、高度はスピードに変えられる。それは、エア・コンバットにおける常識であった。その事を、完全に無視するかのような深雪の姿勢に、レイモンドは少し悩む。
勿論、只のルーキーなら、そんな悩みもないのだが、そこは、やはり”魔法使いの娘”である。
「１番、回り込んで、目標の５時方向よりアタック。揺さ振りをかけろ。２番は、１番を援護しつつ、奴が隙を見せたらアタックしろ」
レイモンドの指示は、自然、様子を見るものとなった。
２機の標的機がダイブ、深雪の６時方向に回り込んで行く。
１番機が、深雪の「隼」の後方に占位。
だが。
（・・・遅い!?）
１番機のパイロットは「隼」のスピードの遅さに戸惑い、照準をつけるタイミングを失った。その目前から、ふっと「隼」の姿が消える。
――どこだ？と、１番機のパイロットが頭を巡らした時、既に深雪は１番機の後下方に占位。３０ｍの至近距離から必中のレーザーを放つ。
ヒットをとられた事を示す白いスモークを引いて、１番機はコンバットステージから離脱していく。
慌てて２番機がアタック。深雪は後上方に食い付いて追いかけて来る２番機を確認すると、おもむろに上昇。抜群の上昇カにものを言わせて２番機を一気に振り切り、背面姿勢になる寸前の所から、失速反転。急旋回で回り込んで２番機の後方ヘ。
だが、トリガーに指をかけようとした所で、深雪は突っ込んで来た３番機に気付き、その回避の為に、射撃を諦めた。
「４番も突っ込め」レイモンドはルール違反を承知で言った。「押さえ込め。高度をとらせるな！」
しかし、レイモンドの予想に反し、３対１になった事に気付いた深雪は高度を下げた。
高度５００ftまで降下、さあ来い、と身構える。
こうなると、うかつに手が出せない。上から下へ抜ける、一撃離脱のアタックをかける訳にいかず、軽量の「隼」は格闘戦に強い。
中途半端なアタックは容易にかわされて、深雪の腕の確かさを証明するだけにしかならない。
（星野の娘め・・・やってくれるぜ）
膠着した状況が、レイモンドを苛立たせる。そのまま５分が経過、深雪は相変らず逃げ回り続け、未だにダメージはない。ヒットポイントは２。既に１４対１の空戦になっていたが、深雪はおいそれとは捕まらない。
「数で押せ。続け様にかかるんだ」
レイモンドの指示で、１４機の標的機がわっとばかりに襲いかかる。が、深雪は鮮やかにその全てをかわし、急上昇。だんごになった標的機の間をすり抜けて、上空へと昇る。
あっと言う間に立場が逆転し、今度は深雪が、高位の体勢から逃げ惑う標的機を狙い撃ち。
「１９番、行け。当てる必要はない。そばをかすめてびびらせろ」
確かに深雪の腕は大したものだ。が、１４対１でいいようにあしらわれる標的機パイロット達も情け無い。レイモンドは苦い顔で指示を下した。
「やっぱり星野は凄いや。１４対１で互角だぜ」
嘉手納飛行場のエプロン。観客席からレースの全貌が捉えられるように、と設けられた巨大なスクリーンを前に、河原は呟いた。
スクリーンには、空撮機が追いかけているルーキーテストの様子が映し出されている。
河原と西は第２課題が始まる前に嘉手納へ移動して来ていた。パイロットの素顔をフィルムに収めるのが仕事の西にしてみれば、いつまでも「クイーンエリザベスII」の船上にいては仕事にならない。
「くるくるとよく回るよな」と、西は感心したように言った。「曲芸を見ているみたいだぜ」
「複葉機を相手にしてるようなもんだからな・・あれじゃ、標的機も気の毒だ」
「・・と、こうしてもいられない」西はカメラケースを担ぎ上げた。「・・・仕事、仕事っと」
１０分が過ぎた。
深雪のダメージは未だ０。一方で、ヒットポイントは６を数えていた。
（さすがは星野の娘だ――だが、パーフェクトウィンだけはやらせん）
「全機下がれっ。俺が相手をする！」
レイモンドは一喝した。ぱっと標的機が散り、コンバットステージの中で、「隼」は単機、スポットを浴びる格好になった。
そこヘ、レイモンドのＰ−５１がアタック。一騎討ちだ。
だが、深雪は対決を避け、逃げた。――下へ、下へと。しかも、巧妙にスピードを殺している。
（後は逃げ回って時間切れを狙う気だな）
と、レイモンドには判った。が、どうする事も出来ない。下手にアタックをかけても軽くかわされるだけだし、格闘戦に引き込もうにも、深雪にそのつもりがまるでない――せこいやつめ、とレイモンドは腹立たしく思った。
尤も、深雪にも言い分がある。はっきり言うと、疲れ始めていたのだ。課題は満足したし、後は明日の予選の事も考えて体力を温存しておこう、と深雪は考えていた。
執拗に喰い下がるレイモンドから、ほぼ５分もの間、逃げ回り続けて深雪はルーキーテスト第２課題を終えた。
終わって見れば結果はヒットポイント６、ダメージ０のパーフェクトウィン。これ自体は文句のつけようがない立派な成績だが、その割りに観客の反応が悪かったのは、テスト後半の消極的な――とる人にとっては、やる気がない、とれた――戦い方のせいだろう。
その事を知ってか知らずか、深雪の態度もえらく素気ないものだった。コックピットを降り、軽く手を上げて観客の声援と拍手に応えたのみで、笑顔すらろくに見せなかった。
（あれじゃスターにはなれんわな）
と、河原は思った。
自分の仕事に自信を持ち、他人にどうとられようと、又、どう言われようとも気にしない――そこいら辺が職人気質なんだよな。まあ、その辺が気に入っている所でもあるんだが、とも思う。
（唯我独尊、我が道を征く、か。大したもんだよ、あの子は・・・）
ルーキーテストで惨敗したトーマス・クラインは男泣きに泣いた。
無論、トーマスは自分の腕前がどの程度であるかは承知していた。所詮はパイパーの補欠パイロットだった自分が、エースの故障でこうして出場させて貰えただけでも幸運だったのだ。予選通過も難しいだろう、とは思っていた。
だが、予選だったら、相手にするのは世界のトップクラスのレーサー達だ。彼等と競い合って敗れたのなら、それはそれでいい。同じ土俵で勝負させて貰えた事に満足して、微笑を残して去って行く事が出来たろう。
しかし、そこに行く前に、ルーキーテストで落とされては話にもならなかった。
――俺には彼等と戦う資格すらないのか。その事が口惜しくて、情け無くてトーマスは泣いた。
西はそんなトーマスの姿をフィルムに収めた。――と、そこヘ、
「あんたね、そんなモン撮って、何が楽しいのよ？」
声がかけられ、肩を掴まれた。
振り向いた西の目に、むっとした飛燕の顔が映った。
「無神経、つーんだよ。そー言うのをさ」
と言って、飛燕は西の傍らを通り過ぎ、トーマスに歩み寄った。飛燕はトーマスの肩に手を置き、慰めるように二言、三言、語りかける。
とかくキツい面ばかりか強調される飛燕だが、こう言う時の表情はいかにも女性らしく優しい。
西は反射的にカメラを構えてシャッターを切った。
飛燕は西に向き直った。
「済まない、先刻は・・・彼には悪い事をした」
と、頭を下げる西に飛燕は言う。
「そんな事、あたしに言ってもしようがないでしょ」それから、改めて尋ねる。「あなた、どこのカメラマンなの？」
西は出版社と雑誌の名前を答えたが、飛燕にはビンと来なかったらしい。
「ふうん」飛燕は曖昧な表情で頷き、意地の悪い表情に変わって、言う。「・・・雑誌が売れる為なら、どんな写真でも撮るんだ？」
さすがに、これには西もカチンと来たが、それでも笑顔でやり返す。
「君が脱いでくれれば、と思っているんだけどね」
尤も、これは西の本音に近い。
「安くないぞ」と、飛燕は応じた。「――いけない。そろそろ準備しなきゃ」
フレックのＰ−５１が舞い上がったのを知って、飛燕はそろそろピットに戻る頃合いなのに気付いた。
「頑張れよ」
西は飛燕の背中に声をかけた。
「ありがと」飛燕は、振り返り、笑顔で答えた。そして、付け加える。「――期待しててね。面白いものを見せて上げるから」
テストを前に、真樹子は表情を強張らせていた。
コックピットにつき、その時を、待つ。
妙に静かだった。ウオーミングアップを済ませたハー４３は、今は止められ、エンジンナセルから、ただ陽炎だけを立ち上らせている。３番目のフレッグのテストの爆音が遠くに聞こえた。
「――マキちゃん」
と、翔は声をかけた。
「え・・・」真樹子の反応は、いつになく鈍い。「あ、はい」
あんまり、うだうだ悩んだって仕方ないんだけどな、と翔は苦々しく思った。――尤も、翔自身、いざとなると、うだうだ悩む性分なのだから世話はないが――こんな時に悩んでも、精神的に疲れてしまうだけで、いざと言う時の集中力を低下させるだけだ。ちょいと気を紛らわせてやろう、と翔は思った。
「――落ち着くおまじない、やってやるよ」
「・・・おまじない？」真樹子は首を傾げた。「それって、効く？」
藁をも縋る気分になっていた真樹子は、当然、身を乗り出した。
「ああ。効果ばっちりだぜ」翔は自信たっぷりに言った。「でも、いいか。声、立てるなよ」
「・・・痛いの？」
真樹子は不安気な表情になった。
「まさか」と、翔は言った。それから、さっと辺りを見回し視線がないのを確認する。「――いいか？」
真樹子は頷いた。翔は然り気ない動作で真樹子の頭を押さえると、素早く顔を寄せて頬に軽くキスした。
「な・・・！」
心底びっくりし、声を張り上げそうになった真樹子の唇に、翔は指を軽く触れさせて黙らせた。
「こら。何、余分な事考えてる」翔は笑いながら言った。「少しは集中しろ」
（集中出来る訳ないじゃない！〉
と、真樹子は言いたかった。
「頑張れ」
と、翔は言い残してステップを降りた。
（まったく、もう・・・何てコトを）
頬を押さえ、真樹子は俯いた。自然に顔が火照って来るのを押さえられない。胸元に何かが詰まっているように、息苦しい。が、それは決して不快ではなかった。――真樹子は意識していなかったが、先程まで下腹に重くしこっていたテストのプレッシャーは不思議と消えていた。
「――何処か具合でも悪いんですか？」
翔に変わってコックピットに取り付いた真琴が、心配そうに訊いた。
「ううん・・・何でもない」
真琴の一言が真樹子を現実に引き戻した。テストの事に神経を集中する。
いざとなった時の真樹子の集中力は凄い。真樹子は一瞬でコンセントレーションを整えた。ＨＵＤ越しの空を真摯に見詰める切れ長の目が、精悼と言える程の輝きを帯びる。
「エンジン始動。行こうか」
「はい」真樹子の気迫に呑まれつつ、真琴は頷いた。「エンジン始動準備！」
フレック・パターソンはヒット７、ダメージ５でパス。
次は真樹子の番だ。
真樹子は高度２５００ftでコンバットステージに入る。
真樹子の考えていた戦法は唯ひとつ。キー８３のパワーとスピードを武器に、とにかく逃げまくり、攻撃は絶対優位の体勢、目標後方上位からの一撃離脱。これしかない。徹底した重戦思想である。
突っ込んで来る標的機に対し、真樹子は全力上昇。７５００馬力をかけて急上昇するキー８３に迫従出来る標的機はない。振り切るのは容易な事だった。
高度１万ｆｔまで１分足らずで上昇。標的機は既に４機になっている。真樹子は背面姿勢でその事を確認、反転降下して手近な標的機にアタック。
命中しない。
相対速度が大きく、リアタックの余裕はない。真樹子はフルパワーをかけて離脱、引き起こして、ズーム上昇で高度を回復する。
（けっ・・・テクニックも糞もねぇ。ただパワーに任せて機体を振り回してるだけじゃねえか）
と、レイモンドは思った。が、この手の機体にこの戦法をとられると、なかなか手強い相手になる事も、レイモンドは知っていた。だから、レイモンドは、まず、真樹子の動きを封じ込める事を考えた。
「奴の攻撃は真っ直ぐに突っ込んで来るだけだ。突っ込まれたら、相手をよく見て減速してかわせ。奴が、上昇して行く所を頭押さえてねじ伏せろ。上昇させるな」
標的機の数が増えるにつれて、真樹子は上に出難くなった。
レイモンドの指示によって、一撃をかけて離脱、上昇しようとする真樹子の行く手を標的機が次から次へと塞ぎにかかって来るのだ。その回避によって減速させられれば、もうズーム上昇による急上昇は出来ない。
必然的に、ズーム上昇とダイブを利用した攻撃法はとれなくなって来る。
だが、その手が使えなくても、まだキー８３には７５００馬力のパワーがあり、真樹子には”翔より速い”切り返しがある。
何人かの標的機パイロットはその切り返しに加えて、”機首の向きと飛んでる方向が違う”と言う翔譲りのアヴレッシブな飛びっぷりに仰天した。
だが、標的標を捉える、そのＨ舜に、ビタリと腰の坐った飛び方が出来ないようでは確実にヒットをとる事などおぼつかない。その事がまだキチンと出来ない真樹子はアタックする回数の割りにはヒットが取れなかった。
１２分を経過した時点で、真樹子はヒットポイントが５、ダメージが４。
そこで、レイモンドの登場となった。
黄金色に輝くレイモンド機がコンバットステージに入ると、他の標的機はぱっと散る。
例によって一騎討ちだ。
真樹子にしてみれば、ここでダメージをひとつ取られては合格が危ない。どんな事があってもダメージを食わされる訳には行かなかった。
必死になって逃げる真樹子。だ、が、他の標的機と違ってレイモンド機は動きがいい。
（レーサー並のチューニングをしてるの？）
と、真樹子は思った。
パワーにものを言わせた三次元機動を持ってしても振り切れなかったからだ。が、実の所は、真樹子自身、気付いてはいなかったが、１０余分の空戦が真樹子を疲労させていたのだ。真樹子の動きは最初に較べると確実に悪くなっていた。
レイモンド機が、キー８３の後方に喰いつく。距離は３００ｍ位、有効射程距離より少し遠い。
真樹子は覚悟を決めた。真樹子は右後ろを振り返り、レイモンド機を直接目視しつつ、キー８３を右旋回に入れた。
レイモンド機がレーザーを放つ、その瞬間に急回避をうって一気に逃げる。それが、真樹子の狙いだった。
レイモンドはＨＵＤに捉えたキー８３に、一撃を加えようとしていた。
（ま・・・結構項張ったが、ここまでだ〉
レイモンドはダッシュ、トリガーに指をかけ、絞る。が、その瞬間、ぱっとキー８３の姿がＨＵＤ上から消え、レイモンドが撃ったレーザーは空を撃った。
「――何ぃ!?」
レイモンドが、頭を巡らしキー８３の姿を空に探す。その時、既に真樹子はレイモンド機の後下方を逆方向に一目散に逃げていた。
レイモンドがキー８３の姿を見付けた時、時間内に再びキー８３を捉える事は不可能な位にその距離は開いていた。レイモンドは、標的機にキー８３に対するアタックを再開するように指示をする。
（・・・あいつ、何をやったんだ？〉
レイモンドは頭を捻った。
――ここで、真樹子のやった事の種明かしをしよう。真樹子は右旋回に入る際に、迎え角を多めにとり、かつ、ラダーを過大に使って機を横滑りさせていた。この時、横滑りのせいで右翼上の気流の速度は低く、大迎え角も手伝って剥離を起こす寸前の状態になる。上半角効果でロールが始まるが、これをエルロンで押さえ込んでおく。
そこで、スティックを引くと、既に失速ぎりぎりに追い込まれていた右翼が一気に失速して急激な右ロールが始まり、同時に引き起こしによる減速効果も加わって後ろについた機を一気にやり過ごしてしまう。あとは急反転の要領で反対方向に一目散に逃げ去る。
この結果、真樹子はヒットポイント５、ダメージ４でテストを終え、何とか合格した。
次は、いよいよ飛燕の出番である。