エピローグ

　海からの風が吹いている。
　夏の終わり、湘南、江の鳥海岸。
　過ぎ往く夏を惜しむかのように波打ち際ではしゃぐ子供達の歓声が、波のさざめきと共に耳に届く。
　真樹子は砂浜をひとり歩いていた。
　明日、真樹子は日本を発つ。
　海の向こうでは、去年までは翔が乗っていた零戦が、新たな主を待っている。
　真樹子はＭＡＣを退め、チーム「ＺＥＲＯ」のエースパイロットとして来期より全米チャンピオンシップに出場する事になっていた。
　だから、今日は最後の挨拶にＭＡＣ・厚木へ顔を出して来た。
　翔は、生憎と新型レーサー「烈風」のテストフライト中と言う事で会う事は出来なかったが、ＭＡＣのみんなを前にして、真樹子は思わず目をうるませてしまった。
　（飛鳥さんがいたら、泣いちゃったなあ・・・）
　と、真樹子は思う。
　事実、ＭＡＣを離れ、翔と離れる事は辛い。
　でも、いつの日にか、飛鳥さんと肩を並べて歩けるような女性になりたい。だから、今は自分の可能性に賭けてみたい――その気持を、飛鳥さんならならきっと判ってくれると、信じている真樹子だった。
　強い陽射しが肌を焼く。
　そんな、身体を熱くする光の中で目を閉じると、真樹子にはまるで昨日の事のように思い出す事が出来る。
　――あの熱かった沖縄の空。
　気の遠くなるようなストレートの彼方に霞んだ名護のコーナー。
　全てを托したエンジンの咆吼と、オイルの焼ける臭い。
　そして、目には見えないけれど翔と自分の間に確かにあった、心と心をつなぐ絆も。
　（そうだよね。短い間だったけど、２人で一緒に歩いて来たんだもの）
　でも、これからはひとり。
　そう、ひとつ確かな事は、ひとつの”季節”が、今、終わろうとしている事だった。
　そして、ひとつの終わりは、同時に新たな始まりでもあるのだ。
　真樹子は零戦でチャンピオンシップに挑む。
　翔は「烈風」でチャンピオンシップに挑む。
　沖縄の空を翔たみんなも、それぞれが新たな目標目指して歩き出している。
　――入ってみようか？海へ・・・
　ふと思って、真樹子は靴を脱いで波打ち際へ進んだ。
　夏の終わり、波は高く、水は冷たい。
　足を濡らす水の冷たさは、真樹子に移り往く季節を実感させた。
　その瞬間、”風”が来た。
　紛れもない、ハー４３のエキゾーストノート。
　「烈風」だ。
　遥か上空を厚木へと戻って行く「烈風」を見上げて、真樹子は内心で呟く。
　（飛鳥さん、行って来ます）
　そして、真樹子は次第に小さくなって行く「烈風」が夏雲の向こうに消えていくまで、見詰め続けていた。
　さて。
　――行きますか。
　と、波打ち際を離れる真樹子のスカートを、その時、一陣の風がすくい上げた。
　真樹子は咄嗟にスカートの裾を押さえる。
　嫌な風、と、真樹子は思った。

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